Le ciel nocturne ondule...

退院して初めての診察。肺の影は復活していなかったので、ほっとする。 ただ、これから慎重に薬を減らしていくので、やっぱり少し時間がかかります。 アトリエDELFでモーパッサンをやるので、久しぶりに読み返してみました。 思えば、原語を読む苦しみを忘れて夢中になったのがこのLe conte du jour et de la nuitだったっけ。短編とはいえ決して易しくはないけれど、この人の、印象派の筆が描く風景の鮮やかさ、心地よい裏切りのある「chute(オチ)」、フランス語をやっていてこの世界を知らないのは本当にもったいないと思う。 ことば、というものを、わたしは信用していない。信用するのが怖い。 結局、記号に過ぎないものをどれだけ精製しても、ひとつの呼吸には勝てないと思っているから。 けれど、放たれた記号の塊たちが、整然と並びながら獰猛に飛び込んで来たものだから、考え直さなくちゃならなくなった。 意味を語り、同時に無意味で、切り取られた現実が夢のように現れる。恐るべき大胆さで、おずおずと存在する。 そうして、いくつかの青い羅列に切り裂かれたわたしは、あっと言ったまま、息を呑んで動けずにいるのです。

CINEFILE

明後日に迫ってきた中地区公民館フランスセミナー番外編。色々迷ったのですが、「シネマで楽しむひとことフランス語」というタイトルにしました。 しかし、今回単発の授業(90分)なので長編をお見せすることができず、残念! 抜粋を見てもらっても、その面白さはなかなか伝えきれないし・・・むむむ、どうするよ・・・ と、自分から「映画とフランス語会話学習くっつけたらどうですか?」などと提案しておいて、いきなり躓いていました。 結局、長編はあきらめてle court métrage(ショート・フィルム)を何本かお見せすることにしました。 フランスのショート・フィルムはなかなか質が高いものが多くて、その持ち味の皮肉な視点が生きているものが多いです。時間が限られているが上にお国柄というのが色濃く出てくるので、「癖が強い」印象となって、その「視点」や隠れたメッセージが日本人にとってなかなかわかりにくかったりするのですが、きちんとした解説があれば、とても面白く見られるものじゃないかなと思います。 今のところセミナーや授業では取り上げられないのですが、個人的には馬鹿馬鹿しいものも好きなのでフランス作品はうってつけ。なにしろ、ロシア人のお墨付きをもらってますし。 いつか「映画を見る会(仮)」を作って、くだらない物もだらだら上映したいな~。 会話マナーや挨拶練習には大体「海辺のポーリーヌ」を使っているのですが、今回はクロード・シャブロルの「La Fleur du Mal(悪の華)」の抜粋を使おうと思っています。この映画って日本では一般公開されていないのでしょうか?面白いのにな。 作品を色々選んでいて、ついでに整理をしてみたら、フランス映画だけでDVDが58本ありました。 100本になったら記念になにかやろうかな。

interieur interiorisE

 マティスとルオー展。

Matisse Rouault
Matisse Rouault

木曜日に高速バスで長岡まで行ってまいりました。 朝早かったので雨に降られずに済んでよかった。 9時amからオープンはありがたいです。

見終わったころから人が増えてきました。

相変わらずのへそ曲がりっぷりなんですが、マティスとルオーよりも二人の師匠であるギュスターヴ・モローの作品がよかった。

 あれは4年前・・・アイルランドの友達のところに遊びに行って、ロンドン経由で戻ってきたパリ。TGVに乗り遅れ、仕方なく北駅でホテルに泊まることに。 次の日は日曜日なのでお店は開いていないし、ついてないなぁ、と舌打ちしかけて、ふと気が付いたのがその日は第一日曜日だったこと(第一日曜日はすべての美術館・博物館が無料)。

一番近いのが「ギュスターヴ・モロー美術館」だったので、いそいそと9区へ向かったのでした。 出口で教えてもらって、そこから歩いて3分程のle Musée de la Vie romantique(ロマンティック美術館)の特別展を見に行く。

昨日のツキの悪さはこの辺でチャラにできたな~と、鼻歌交じり。でしたが・・・

musee G.moreau
musee G.moreau

G.モロー本人が晩年に自らアトリエを改装して美術館にしたこの建物は殺風景な坂道の途中にあって、広くはないけれど静かな佇まい。螺旋の階段が美しい。

写真はrmnより 壁を覆いつくす様に作品が掛けられていて、本を捲るように額を繰ると次の作品が出てくるわ出てくるわ。全部で6000作品。

次から次へとサロメやらオルフェウスやらジュピターやらが現れるデッサンは4831点もあるそうだ。 神話や聖書の登場人物をモチーフにした絵が多く、細かく描きこまれた独特の陰影は、当時サレ館(ピカソ美術館)にばかり足を向けていた私には重すぎて、

「あー、お好み焼きの後に月餅を3個飲み込んだみたいだ・・・」

とよろよろとツタの絡まるロマンティック美術館へ。

ここでようやく気づいた(遅い)のですが、当方「浪漫」はあんまり得意でなかったんです。

それを、「la Vie romantique」(それもVが大文字)が看板の美術館にのこのこやってくるんだから。 一度行った場所というのは大概覚えているのですが、この「ロマンティック美術館」だけは記憶がありません・・・

無料につられて入って、記憶喪失で出てくるとは失礼な話です。ごめんなさい。

・・・という思い出しかなかったので、恥ずかしながらギュスターヴ・モローという人がEcole des Beaux-Artsでマティスやルオーを教えていたこと、アーティストとしてだけでなく、教師として大変優れていたということも全く知りませんでした(_ _ ;)

今回新潟県立近代美術館で心に残ったのは「エマオでのキリストの十二使徒」 (原題Les Disciples d'Emmaüs) こちら→(Click!)で絵を見ることができます。色があまりよく出てないのが残念。 この情景はルカ伝に書かれている話で・・・

cah3-bk.png

 イエスが磔にあった後、その遺体が墓から消えてしまいます。

残された信者達は途方に暮れ、迫害を恐れエルサレムから脱出しようとします。この絵に描かれている二人の信者もその道中なのですが、そこに復活したイエスがひょっこり現れて「何の話をしているんですか?」と話しかけるんです。

「なんのって、この界隈で何があったか知らないなんて、あんたぐらいだろうな!」

と、何も知らない二人は磔の話をしてあげて、これからを嘆きます。イエスはそれを見て、聖書の話を道中二人に説いて聞かせます。途中の宿で、先を急ぐ風のイエスを引き止めた二人は一緒にテーブルを囲みます。

そこでおもむろにパンを取り祝福を唱えそれを二人に与えたイエスを見て、初めてこの二人はいったい今まで誰に話をしていたのか、ようやく気づくわけです。

しかし・・・ その瞬間にイエスはそこから消えてしまったため、二人はあわててエルサレムの使徒の元へと引き返します。そこで、十一使徒たちの話でイエスがシモンの前にも現れたことがわかるのです・・・

cah3-bk.png

 全体的にぼんやりしていて登場人物の顔もわからないのですが、それでも真ん中にイエスがひょっこり現れて、二人となんのこだわりもなく話している雰囲気がとてもいい。

不安を抱えながらもどこかuniversがほっとしているような、上ったばかりの月明かりに和んでしまいます。

以前は神話にしても聖書にしても、知識がなかったために、モローの絵はどれも「FF(ファイナル・ファンタジー)・・・?」になってしまったのですが、ひとつひとつじっくり見てみると、静かに燃えるような意思がひたひたと揺れているのがわかります。

 ルオーの初期の作品は「レンブラントの再来」と言われ、師匠のモローの言葉に従い内面を描き出す作業に取り組んでいるのがよくわかります。 モローの作品にはどこかに必ずはっとするような小さな「光」が潜んでいるのですが、それはルオーにもマティスにも引き継がれているなーと感じました。

 [La peinture est ] miroir des beautés physiques, réfléchit également les grands élans de l'âme, de l'esprit, du cœur et de l'imagination et répond à ces besoins divins de l'être humain de tous les temps. C'est la langue de Dieu ! Un jour viendra où l'on comprendra l'éloquence de cet art muet ; c'est cette éloquence dont le caractère et la puissance sur l'esprit n'ont pu être défini, à laquelle j'ai donné tous mes soins, tous mes efforts : l'évocation de la pensée par la ligne, l'arabesque et les moyens plastiques, voilà mon but.
(絵画とは) 肉体の美を映し出す鏡であり、同時に魂、精神、こころ、そしてイマジネーションの大いなるほとばしりを反射し、すべての時代の人間に宿る神々しい欲求に応えるものなのだ。これは神のことばなのだよ!いつか人々がこの「無口な芸術」の雄弁さをわかるときが来るだろう。雄弁さ、そこにある霊性の特徴や強さというものは計り知れず、それだからこそ私はそこに私の最大の心配りとあらゆる努力を込めるのだ。線を用いて、アラベスクで、さまざまな造形の手段によって図る思いの喚起、これこそが私の目的なのである。
ギュスターヴ・モローの言葉より

参考: Musée national Gustave Moreau(フランス語) La Bible de Jérusalem, Edition Desclèe De Brouzer, Paris, 1975

 

「無口なアートの雄弁さ」(l'éloquence de cet art muet)、のoxymoreが、フランス語おたく的にはたまりまへん。

nagaoka
nagaoka

おしらせ

モブログ更新。インターネット接続に不具合があり、更新ができずにいます…本気でKDDIから移行考えちゃうな~ メール、お問い合わせなど、返信は来週以降になると思います。ご迷惑をおかけします(auoneが!!)