「もう、後戻りはできない。」
色々なシーンで、最近なにかとよくそう思います。
悲壮とか追憶とかでなく。もっと、リアルなドキドキ感で。
土曜日のCHEEKYELF主催SCAMPERS PARTY! でEXTENSION 58 と再会したのですが・・・
ぎゃー、いきなり挙動不審でごめんなさい!どこでチケットを買えばいいのかわからず、おたおたしていました。
それにしても、ステージが待っているというのに皆さん本当にお気遣い下さってありがとうございました。なんて温かで細やかな人々なのでしょう!と、感動・・・演奏を聴いたり、ファンの人たちを見ていて、そういう彼らの人柄も見えない音として惹きつける理由のひとつなのかな、と思いました。
ライヴって、確かにアーティストを生で感じるのが楽しいのですが、それを楽しんでいるファンの人たちを見るのも、結構スキです。
カレーもおいしかった!!お店やっていないなんて残念です。またどこかのライブでやってもらえないかなぁ?
ところでエクステの「PLASTIC COLOUR」という曲を聴くたびにいつも気になっていて、今日やっと真相がわかった空耳。
一番最後に「Switch Off The Sun」と歌っているのが、どぉーうしても、
Si tu veux ca (スィ・テュ・ヴ・サ、もし君がそれを望むなら)
に聴こえてしまうのです!フラ語耳おそるべし・・・
(ちなみにこの記事のタイトルは「HELLO, IT'S ME !」のフランス語)
メンバーの皆さんの腰が思わず引けた、泣く子も黙る大人買いでアルバムを揃えて、来るべき戦いに望みます。新潟マラソン。あと2週間切ったのに、なかなか10km走る天気になってくれないなぁ。
写真はセレクションされたランニング・ミュージック達とマラソンのナンバーカード。
Sous le "ciel" exactement
Une gentille intuition.
ザ・初体験。
昨日「夏時間の庭(L'heure d'été)」を見てきたのですが・・・
「わあ、誰もまだいないねぇ」「あんまり前じゃない方がいいか」などと言っていたら入り口のカーテンがシャーっと閉まって「まもなく開演です」
・・・というわけで、貸切でした。
映画自体は、まあ、オリヴィエ・アサイヤスなので美しくまとめられていて見やすかったのですが、ストーリーがそれほどぐっと来るものでもなく・・・ただ、フランスのいわゆる資産家ファミリーのホームパーティーの様子や、日常生活の断片が「あ~こんな感じ」と言いたくなるリアルさでよく描かれていて、ちょっとドキュメンタリー調のカメラワークが効いていました。文化学習的にはとても参考になります。骨董品、庭などが品良く美しい。ミュージックもなかなか良かったです。字幕も上手かった。
シャルル・ベルランといえばルコントの「Ridicule(リディキュール)」でジュディス・ゴドレッシュの太ももをなでなでしていた記憶しかないのですが・・・いい(子供からしてみれば仕事バカのダメ)親父っぷりで好感が持てました。
それにしても、連れも私もシネウインド常連者なのですが貸切状態はさすがに初めてで、終わった後に「だらけた姿勢でも誰にも文句言われなかったのに、なんか大人しくいい姿勢で最後まで見ちゃったよ」という彼の言葉を聞いて初めて「あ、そっか、後ろに、人いなかったんだっけ・・・」と思い出し、なんだかよくわからないけど、なんとなく損した気分で映画館を後にしました。あれこそ「腑に落ちシート」です(笑)。
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ブルターニュは空が低く感じられることが多く、フランスは電線がうじゃうじゃと絡まっているわけではないので、よく空を眺める癖がありました。
日本に戻ってきて、今のメインの仕事場は窓を背にしているので、空を眺めてぼ~っとするの、しばらく忘れていたなぁと気づきました。それ位、昨日は空を眺めた。お天気もじゃんじゃん変わっていたし。
真っ暗で海か空か風か自分か、全部一緒くたになるような息苦しさも感じたし、きらきらのオリオン座眺めたし、中世ヨーロッパ建築の天井画のような色合いの雲も見かけた。
なんというか空でおなか一杯です。むふぅー。
雨と晴れが追いかけっこをするような天気の日は「アンナ」を思い出します。アンナ・カリーナが浜辺で歌う「Sous le soleil exactement」を口ずさんじゃう。
「ANNA」、DVD持っていたような気がしたんだけど、どこいっちゃったっけなぁ・・・
Une belle extension
心、さわぐ。
EXTENSION 58 15周年記念のワンマンライブ「100% 58かもね!」。
ああ、どうしましょ。どストライクです・・・
新潟にこんなにかっこいいバンドがあったとはもっと早く知りたかった!
以前のものを知らないし、音楽は全然疎いのですが・・・初めてライブに行った私でも、メンバーのバランスが最高にいいということがわかっちゃいます。
がっつりロックなのに「あ~癒される~」とほわほわしている自分を発見。そこはかとなく胸キュンなサウンド。
悩みもわだかまりも吹っ飛ぶ潔さ。痛み。弱さ。葛藤。反抗。大人。でもずっと子供。つまってますよぅ。
揃いのスーツもクールでいい感じでした。
帰りに最近のアルバム「ザ・デイズ・イン・ザ・ウォーター」を即買して打ち上げに行ったら、メンバーの皆さんが「じゃあ、記念に」とサインを入れてくださいました(ドラムさんだけ居なかったのが残念)。ジャケもカッコいいです。
終わってから、一緒に行った友達の顔色がすごくよくなっていて、「ふっきれた!」と笑顔が出ていてよかった・・・
他人事じゃなく、私も久しぶりに朝帰りしたのに今すっごい元気(笑)。
そして、自分が色々計ったり、量ったり、図ったり、はかりまくっていたのが、馬鹿馬鹿しくなってしまった。色々あったって、腹括ってしまえばいいんだ。素直に歩み寄ればいいのかもね!と気づいた。今が、その時なんだものね。
気づかせてくれたエクステの音楽、ありがとうです。
You Are Not Alone
King of Pop, forever...
ここの所、立て続けに「ブログ、読んでました」と、過去形で語られることが続いております。
やめたわけではないし、ああ、書きたいなぁと思うことは毎日あるのですが・・・
ランニング(相変わらず地味に続いております)、「1Q80」、アロママッサージなどなど
(こうやってみると、なんとも流行りモノにあれこれ手を出しているミーハー根性丸出し)
そんな中、MJ他界については、ちょっと記しておこうと思います。
わたしはダイレクトなマイケル・ジャクソン世代より若干ヤングなのですが、中学生からフランス留学前まで一貫して一番聴いていたのがMJだったのです。きっかけは、ごく一般的な、「スリラー」とか「BAD」のミュージック・クリップにがーんとなったクチ。マイケルの生き様とか、スタイルとかにはあまり興味がなくって、でも音楽がとにかく格好よかった。
2007年に留学から戻って来て、取り付かれたように持ち物を処分したのだけれど、留学前に最後に買ったマイケルのアルバム「インヴィンシブル」のジャケットを見て、すごい違和感を感じて、衝動的に持っていたアルバムを全部古本に出してしまった。あの時、「artificiel (作られた)」という言葉をとにかく嫌悪していて、それを体現しているようなMJの世界はもう必要ないと潔癖に思いつめていたんだと思う。「デンジャラス」も「ブラッド・オン・ザ・ダンス・フロアー」も「ヒストリー」もあんなに何度も聞いたのに。
同世代の女友達には理解されないことが多々ありましたが(笑)、男性陣には「へぇ、MJ聞くんだ?」「おお~『ヒストリー』買ったのかよ」など、遊びに来たときに隠れファンだったことが露呈する人が結構いたりしました。
今でもたまに連絡をくれる(そしてここでもこっそりお馴染みとなっている)オネエメンのKちゃんが(彼もMJミュージックを愛していた)、誕生日に「BAD」Tシャツをくれましたっけ。「Michael Jackson BAD」と胸にでかでかと書いてあるので、いくらなんでも外には着て行けないよねぇ、と、現在でもパジャマとして愛用しているのです。。。
マイケルといえば、度重なる整形に全身美白疑惑アリの「色素が抜ける病」、体系保持のためのベジタリアンがやりすぎて最後には一日一食の仙人のような食生活で自力歩行も難しいとか・・・とナチュラルの対極にあったその姿にもかかわらず、「Remember the time」の頃の彼は本当にかっこよかった。特に、「In the closet」のMTVは衝撃的でした。ナオミ・キャンベルの出演で有名ですが、あのダンスはボブ・フォッシーへのオマージュなんだそうですね。映画「星の王子様」中、フォッシーはLe petit princeが砂漠で出会う蛇を演じていて、大きな木の周りを真っ黒の衣装でキレキレでくねくね踊っていますが、モノクロがエロティックな「In the closet」では、closetの入り口をフレームにして踊るMJの影がフォッシーを髣髴とさせるものでした。
ところで、Le petit princeの中で、星の王子様が地球に降りた地点は砂漠で、初めて出会った生物が蛇になるのですが、星の王子様は「いったい人はどこにいるの?僕たちなんだか砂漠のど真ん中で独りぼっちの気分なんだけど・・・」と言うと、
蛇はうねうねとその体のように遠まわしにこう言います。
On est seul aussi chez les hommes.
「人がいっぱいいる所にいたって、僕らはやっぱり独りぼっちさ」
***
その昔、深夜に、「ビリー・ジーン」から始まり、「Leave me alone」とか「Black or White」「Heal the World」「Smooth Criminal」などのMTVをノーカットで特集した番組があって、光GENJIの内海光司と大沢樹生が司会をしているという、今となってはよくわからないプレミアがつきそうなVHSを持っていたのだけれど・・・あれ、どこいっちゃったのかなぁ、と思いながらアマゾンで「DANGEROUS」のショート・フィルム・コレクションを買ってしまったのでした。
King of POPは、今頃自分の星に帰って楽しく踊って歌っているのでしょう・・・
Comme les autres
ねえ、ねじまき鳥さん、あなたが今言ったようなことは誰にも出来ないんじゃないかな。『さあこれから新しい自分を作ろう』とかいうようなことはね。私はそう思うな。自分ではうまくやれた、別の自分になれたと思っていても、そのうわべの下にはもとのあなたがちゃんといるし、何かあればそれが『こんにちは』って顔を出すのよ。あなたにはそれがわかっていないんじゃない。あなたはよそで作られたものなのよ。そして自分を作り替えようとするあなたのつもりだって、それもやはりどこかよそでつくられたものなの。ねえ、ねじまき鳥さん、そんなことは私にだってわかるのよ。どうして大人のあなたにそれがわからないのかしら?それがわからないというのは、たしかに大きな問題だな。だからきっとあなたは今、そのことで仕返しされているのよ。いろんなものから。例えばあなたが捨てちゃおうとした世界から、たとえばあなたが捨てちゃおうと思ったあなた自身から。私の言っていることわかる?
「人並みのこと」というのが、私は小さいころから何一つできない。 そのくせに、誰かと話していると、自分の口から出てくる言葉はありきたりでステレオタイプで、猛烈に退屈する。 日常で少し感情が混乱することがあった。そういう時、普段聞いている音楽に吐き気を催すということに、初めて気づいた。 混乱しているからこそ、もっと混乱した世界に一時的にでも身を沈めようと「ねじまき鳥」をひらく。そうすれば、とりあえずは色々と考えなくてすむ。笠原メイがかつら工場で働くのと一緒かもしれない。 想像することは、命取りになるのだ。
Le ciel nocturne ondule...
退院して初めての診察。肺の影は復活していなかったので、ほっとする。 ただ、これから慎重に薬を減らしていくので、やっぱり少し時間がかかります。 アトリエDELFでモーパッサンをやるので、久しぶりに読み返してみました。 思えば、原語を読む苦しみを忘れて夢中になったのがこのLe conte du jour et de la nuitだったっけ。短編とはいえ決して易しくはないけれど、この人の、印象派の筆が描く風景の鮮やかさ、心地よい裏切りのある「chute(オチ)」、フランス語をやっていてこの世界を知らないのは本当にもったいないと思う。 ことば、というものを、わたしは信用していない。信用するのが怖い。 結局、記号に過ぎないものをどれだけ精製しても、ひとつの呼吸には勝てないと思っているから。 けれど、放たれた記号の塊たちが、整然と並びながら獰猛に飛び込んで来たものだから、考え直さなくちゃならなくなった。 意味を語り、同時に無意味で、切り取られた現実が夢のように現れる。恐るべき大胆さで、おずおずと存在する。 そうして、いくつかの青い羅列に切り裂かれたわたしは、あっと言ったまま、息を呑んで動けずにいるのです。
Ma position
Comme si c'était un joyeux compagnon !
3月1日の成嶋志保さんのリサイタルにお越しいただいた方には、心よりお礼を申し上げます。
たくさんの方に聴いていただけて、とても幸せです。
初めての試みでしたが、「ピアノととても合っていた」という感想を数多くいただけたことが一番の収穫でした。
会場がとても反響するホールだったので、マイクを置いたのがいい効果になっていたようです。
ナントで出演した最後の舞台は2005年、日本で舞台に上がったのは実に6年ぶりで、発声も集中力も恐ろしく衰えており、更に思いがけない入院で、志保ちゃんサイドの皆様には大変なご迷惑をおかけすることになってしまいました。
打ち上げで、小学校を回ったらどうかというお話が出て、かなり盛り上がりました。
小学生相手であれば、やっぱり念願の(?)ロバの着ぐるみでしょうか・・・
新潟・フランス協会にいると、あれよあれよと楽しい企画が出てくるので飽きません。
志保ちゃんのほかの演目の演奏を聞けなかったのが残念でした~。最後のリストは特に、袖で聴いていても本当に素晴らしかった!観客席で聞きたかったです。ドビュッシーの「ベルガマスク」も、好きな演目でしたし・・・
成嶋さんは4月の終わりにまた新潟で演奏会をしてくださいます。今度は井上静香さんとのヴァイオリン=ピアノデュオです。このコンビは昨年以来ですが、息の合った二人の演奏は本当にお勧めです!
さて、La fête est terminée,また日常が始まります。
かつて一年に2~3本の芝居をやっていた時、「あ~やっぱり向いてないなぁ」と自覚する瞬間がありました。それは、幕が上がる時や、稽古中ではなく、科白だの立ち位置だの仕込みだの明かりだのということから開放されて、「普通」に戻れることに何よりもほっとし、嬉しく感じているのに気づいた時でした。
そんな時、「そんなことを思うなんて芝居人として失格だ」という後ろめたさと、「こんな風に感じるということは、やっぱり私は芝居という世界では生きていけないのではないか」という不安と焦りが混ざった、なんとも居えない苦い気持ちになったものです。
あれから時が経ち、それなりにずうずうしくなってみると、ひとにはそれぞれスタンスがあって、どういうアプローチで芝居に関わるかを、「devoir(ねばならない)」という言葉を使って決め付ける必要などないと思えるようになりました。
フランス語を学習する上でも同じ気持ちです。
フランス語を勉強したくていらっしゃる方々でも、人によって様々です。たま~にフランス語を思い出して関わっているのが丁度いい、という場合があるし、関わる分野にもそれぞれのこだわりがあるだろうし、好きで始めたつもりなのに、「あ~今日は授業がある、かったるいな~」「辞書で調べていくの、めんどいな~」という気持ちになってしまうことってあると思います(私も多々ありました)。
「知らない」ということを常に突きつけられるリスクがあり、また、実際に突きつけられ続ける語学学習というのはしんどいものです。そこから逃げたくなる気持ちを責めても、許しすぎても、上達は叶いません。うまく制御しつつ・・・というのが理想ですが、何か大きな目的があったり、相当合理的で自己コントロールの上手い方でなければ、なかなか難しい。
イヤになった時には、見て見ぬふりをせず、一旦やめてみるのもいいのかもしれませんね
(と、自分の首を絞めるようなことを・・・)
失ってみて、初めてその素晴らしさや有難さがわかったりすることってよくありますし。止めてしまう自分を否定しない、というのも大切。そして、また始めたくなる時が来たら、もう一度ページを開けばいいだけのことなんです。
プルーストの質問票(Le questionnaire de Proust)
Le questionnaire de Proustというものを見つけました。 これを元にBernard Pivotという司会者が短い質問バージョンを作って、「アポストロフ」という番組内でゲストの作家陣の人となりと作品を紹介したらしい。あの「アクターズ・スタジオ・インタビュー」の「恒例の10の質問」というのはここから来ているそうです。
1890年頃のプルーストの答えを見ることができるんですが、読むと用心深さが伺えて笑えます。
- 1. Le principal trait de mon caractère.
あなたの性格において一番の特徴は?
Le besoin d'être aimé et, pour préciser, le besoin d'être caressé et gâté bien plus que le besoin d'être admiré. 愛されることを必要とする、もっと言えば、とにかく優しくされ、甘やかされる方が、崇拝されるよりずっと必要。
- 2. La qualité que je préfère chez un homme.
男性に求める美点
Des charmes féminins. 女性的な魅力
- 3. La qualité que je préfère chez une femme.
女性に求める美点
Des vertus d'homme et la franchise dans la camaraderie. 男性の持つ美徳と仲間内における誠実さ
- 4. Ce que j'apprécie le plus chez mes amis.
私の友人たちにおいて一番評価する点
D'être tendre pour moi, si leur personne est assez exquise pour donner un grand prix à leur tendresse. 私に愛情深く接してくれるところ。彼らの人柄は例えようもなく素晴らしく、愛情深さのチャンピオンを差し上げてもいい位だ。
- 5. Mon principal défaut.
私の一番の短所
Ne pas savoir, ne pas pouvoir « vouloir ». 「欲する」ことを知らず、できないこと。
- 6. Mon occupation préférée.
私が一番力を入れていること
Aimer. 愛すること
- 7. Mon rêve de bonheur.
私が夢見る幸せとは
J'ai peur qu'il ne soit pas assez élevé, je n'ose pas le dire, j'ai peur de le détruire en le disant. その夢が崇高でないのじゃないだろうか、とても言えない、言ってしまうことでその夢を壊してしまうのが怖い。
- 8. Quel serait mon plus grand malheur ?
私にとっての「不幸のどん底」とは?
Ne pas avoir connu ma mère ni ma grand-mère. 私の母や祖母を知らなかったとしたら
- 9. Ce que je voudrais être.
私はこういう人になりたい
Moi, comme les gens que j'admire me voudraient. 私自身、だって私が尊敬する人々がそう私に願うのだから
- 10. Le pays où je désirerais vivre.
住んでみたい国
Celui où certaines choses que je voudrais se réaliseraient comme par un enchantement et où les tendresses seraient toujours partagées. まるで魔法のように自分の望むことが叶うところで、優しい愛情を分かち合えるところ。
- 11. La couleur que je préfère.
好きな色
La beauté n'est pas dans les couleurs, mais dans leur harmonie. 美しさは色の中に存在するのではなく、色と色の調和の中にこそある。
- 12. La fleur que j'aime.
好きな花
La sienne- et après, toutes. 誰かさん1の花、それから・・・全ての花。
- 13. L'oiseau que je préfère.
好きな鳥
L'hirondelle. ツバメ
- 14. Mes auteurs favoris en prose.
好きな作家(散文の作品)
Aujourd'hui Anatole France et Pierre Loti. 今日ではアナトール・フランスとピエール・ロティ
- 15. Mes poètes préférés.
好きな詩人・戯曲作家
Baudelaire et Alfred de Vigny. ボードレールとアルフレッド・ドゥ・ヴィニー
- 16. Mes héros dans la fiction.
わたしにとってのヒーロー(フィクションで)
Hamlet. ハムレット
- 17. Mes héroïnes favorites dans la fiction.
わたしにとってのヒロイン(フィクションで)
Bérénice. ベレニス
- 18. Mes compositeurs préférés.
好きな作曲家
Beethoven, Wagner, Schumann. ベートーヴェン、ワグナー、シューマン
- 19. Mes peintres favoris.
好きな画家
Léonard de Vinci, Rembrandt. レオナルド・ダ・ヴィンチ、ランブラント
- 20. Mes héros dans la vie réelle.
私にとってのヒーロー(現実世界で)
M. Darlu, M. Boutroux. ダルリュ氏、ブトゥルー氏
- *21. Your favourite heroines in real life. 私にとってのヒロイン(現実世界で)
- 22. Mes héroïnes dans l'histoire.
私にとってのヒロイン(物語の中で)
Cléopâtre. クレオパトラ
- *23. Your favourite food and drink. 好きな食べ物・飲み物
- 24. Mes noms favoris.
好きな名前
Je n'en ai qu'un à la fois. なんにせよ、一つしかない。
- 25. Ce que je déteste par-dessus tout.
何よりも嫌っていること
Ce qu'il y a de mal en moi. 私の中に悪が存在すること
- 26. Personnages historiques que je méprise le plus.
歴史上の人物で最も嫌っている人
Je ne suis pas assez instruit. 答えられる程に人間が出来ていない。
- 27. Le fait militaire que j'admire le plus.
軍事活動のなかで最も素晴らしいと思うのは
Mon volontariat ! 僕の志願兵役経験!
- *28. La réforme que j'estime le plus. 最も評価する改革とは
- 29. Le don de la nature que je voudrais avoir
自然の力の中で手に入れてみたいもの
La volonté, et des séductions. 積極性、誘惑の力
- 30. Comment j'aimerais mourir.
どうやって死を迎えたいですか
Meilleur - et aimé. 最良の状態で ーそれから、愛されて。
- 31. État présent de mon esprit.
今の精神状態
L'ennui d'avoir pensé à moi pour répondre à toutes ces questions. この質問に答えるために色々と自分を探ることになって憂鬱。
- 32. Fautes qui m'inspirent le plus d'indulgence
過ちの中で、これだけは許せるなと思うのは
Celles que je comprends. 理解できるものであれば
- 33. Ma devise.
座右の銘
J'aurais trop peur qu'elle ne me porte malheur. その座右の銘が僕に不幸をもたらしたらと思うとかなり怖い気がする。
!注! *英語の部分はプルーストが仏語訳していない質問。また、訳していても答えていないもの。 オリジナルの質問(英文)では、 Your chief characteristic. What characters in history do you most dislike. がありますが、仏訳されていません。質問がかぶっていると判断したプルーストが削ったのかも。
答えていない質問にこそパーソナリティーが浮き彫りになる33問。
この33Qの中に「j'ai peur(恐い)」という言葉がこんなに一杯出てきていることに、プルーストは気づいていたんでしょうか・・・
ところで、12.の答えに「La sienne」とあって、これはかなり困りました。そういう名前の花があるのでしょうか?パッチワークにLa fleur de sienneっていうのがあったのですが、プルーストの質問票の場合はネット検索をかけると「彼・彼女のもの」として捉えているみたい・・・
マラルメもこの質問に答えているそうで、プレイヤード版マラルメ全集IIに載っているようですが、ネットでは見つからなかった・・・ドマージュ。
Corteo : Cirque du Soleil
ナント旅行の行きの飛行機の中で、寝たら時差ぼけでどうにもならなくなると思って、3月に予定しているプロジェクトの翻訳をしたり、本を読んだりして、飽きたので映画を見ることにした。あんまり面白そうなものがなかったので、とりあえず「カンフーパンダ」(日本語音声)を選んだのだけれど、結構あっという間に終わってしまう。
(トキオ山口達也の吹き替えはナイス。三輪明宏に「パンダに見える」と言われた後、このパンダ役の話が来たそうだ。オーラの泉で言っていた。)
仕方なく色々チャンネルを回していたら、シルク・ドゥ・ソレイユ「コルテオ」に当たった。
シルク・ドゥ・ソレイユ(Cirque du Soleil)は、名前こそフランス語だけれど、フランスではマイナーな気がする。
ケベックで生まれたのでフランス語劇団名なんでしょう。生みの親はGuy Laliberté (ギィ・ラリベルテ)とDaniel Gautier (ダニエル・ゴティエ)。ラリベルテはアコーディオン奏者、ゴティエは火飲み芸人だったそうです。
現在では常設小屋(ラスベガスが中心)の他、世界ツアーでスペクタクルを行い、今年10月には東京ディズニー・リゾートに東京シアターをオープン。世界各地から登録しているアーティストの数は4000人を超えているらしい。
このサーカス軍団のことは結構前からちらほら耳にしていた程度だったのですが、「コルテオ」を観てすっかりテンションが上がりました。ラスベガスの「O(オ)」を観に行きたい・・・
「コルテオ」は、イタリア語で「cortège(行列)」の意味。
道化師が「自分が死んだ夢を見た」と話し始めるところから、天が落っこちてきたように夢とも現実ともつかない不思議な世界が繰り広げられます。
イタリアらしい退廃的な闇は幻想的で、からからかうように天から現れたり、時折走り抜けたりする天使たちは荘厳、かと思えば「行列」が現れるとちょっと「ちんどん屋」のようだったり。
シャンデリアがぐるぐる回りながら上がって行って、それにぶら下がりながらアクロバットを見せる女性たちが美しい。
どういう仕掛けなのか、靴だけがトコトコあるいたりするようなちょっとゾクッとする演出が好き。
人間空中ブランコのようなアクロバットやジャグリングも文句なしに素晴らしいのです。
DVDが出ていますから、そのうちecorで上映会をやるかもしれません。
来年から日本の各地でコルテオのツアーが始まるそうです。
生で観たい~
etre
ユーロ・ヴァージョン
スーツケース行方不明、スリ、パスポート紛失、現金を落とす、迷子、喧嘩・・・
どれもなくて、無事日程をこなし帰ってまいりました。
ナントはしかし寒かった・・・歯がなる寒さ、すっかり忘れていました。
それでも、メンバーの皆さんはそんなに雨に降られることもなくて、やっぱり新潟・フランス協会には晴れの神がついています。
しかも、パリへの移動日の前日に、SNCF(フランス国鉄)のアトランティック路線で架空線の故障があり、一日違っていたら5時間はTGVの中に閉じ込められるところでした。
(でも、TGVの一部の座席がダブル・ブッキングか?!という事件はありましたが。笑)
写真を整理しつつ、ぼちぼちecorサイトのナントページを更新して行こうと思います。
今回は、住んでいた時にあえて行かなかった所を色々と回れて、すごく楽しかった!
それにしても、つい昨日も居たような不思議な感覚でした。
なかなかわかってもらえないのですが、
一種独特の浮遊感というか、ここに居るようで、ここに生きていないような、時空に縛られていない、そんな感覚です。
これは、新潟に居ても同じで、今、ここで生活をしているけれど、なにか現実感のないような、遠いような、そんな感じにふと陥ることがよくあります。
頼りないか、と言えばそうではなくて、むしろ、土地に囚われることはないとわかって、気楽で居られるから楽しい感じ。ラリってる、とも言えなくもない。
「なんかね、ナントと新潟、どっちも自分にとって嘘っぽい、リアルじゃない感じがするんだよね」
と、ナントのO兄に話したら、
「それって、逆なんじゃないの?両方とも自分にとって真実なんじゃない」
と言われました。
確かに、そうかも・・・。
結局、自分の感覚を通してのみ私達は世界を知ることができて、その「私というフィルター」を通すことで「100%ピュアな真実」というものはなくなる。たったひとつだけを「正しい」と言いたくなるけれど、あれもこれも、「正しい」・・・。
ナントから引き上げてくる時、知らないうちに、「これから私が生きる場所は(今のところ)新潟で、ナントではない」と、どこかで決めつけてしまったのかもしれない。そんなことする必要なかったんだ。
今回の収穫。量にしたら意外にそれほど多くなかったかも、と言ったら、色々な人から突っ込まれそうな気がします。本でもチラシでも、最近は常に「あ、これ教材に使える」と見てしまうのですが、それでも趣味のものをたくさん手に入れてにこにこしています。
これからのe-corで使うものとしては、
映画「奇人たちの晩餐会」
ノーベル賞作家のもの、ということでル・クレジオの短編
そして、文学を通したフランス語学習用の教材(初級・中級・上級)を手に入れました。この教材は、大学に居た時から目をつけていたのですが、中世から現代まで様々な文学の抜粋を取り扱っている優秀なものです。
来月で一周年を迎えるにあたって授業内容も少しシェープアップしてパワーアップします。
A suivre...ア・スウィーヴルということで、お楽しみに!
おもしろきもの
Je passe mon temps entre Vannes où réside mon père et Nantes, avec quelques échappées à Rochefort sur mer où nous avons de la famille, mais tout cela est bien monotone depuis le départ de mon épouse.Je vous attends avec impatience.
C.B.
旅行前になんやらかんやら仕事の話が飛び込んできて、久しぶりにやかん状態になりかけていました。
水曜日夜、リニューアルオープンしたNHK文化センターのPassion ! France(パッション・フランス)第1回目を無事終了することができてほっと一息です。お集まりの皆様ありがとうございました。結構様々なところに旅行に行かれている方が多くて、みなさんすごいですね~。懐かしい顔もちらほらあり、再開してよかったなーと改めて思いました。
最近、e-corの教室では、各アトリエの「カラー」のようなものが出てきて、見ていると本当に面白いです。
その面白さというのは、表面的な「面白さ」、「おかしさ」とは違うもので、なんなんだろう・・・と思っていたのですが、高校の時になんとなくしか意味を捉えることができなかった古典の「おもしろきもの」というところなんだと気づきました。
当然ですが、グループの中には個性と言える「差」があります。それは、勉強を始めた時期にもよるし、もともとの能力や性格などもあります。その違いを理解したうえで、自分は「答え」をわかっているけれど、辛抱強くまだわかっていない人を待ってあげる、という生徒さんを見かけると、なんとも言えずうれしくなります。
わからないけれど、とりあえずある知識の中で自分なりの答えを出してみる、というチャレンジが初級の段階からできる方もいらっしゃいます。スバラシイ。
「わからないし、間違えるのが怖いから言わない」というスタンスよりも、「間違ってもいいから一歩踏み出してみる」という方がいい、とよく言われます。生徒の立場から見てみると、この言い分はわかっているけどなかなかできない。なぜ「失敗するほうがいい」のか、その理由が明確でないからなんですね。
自分の経験を照らしてみて思うのは、ベクトルの問題だということ。ありがちな言い方をすると、「前向き思考」。
「間違えるのが怖いから言わない」というのはマイナスに向かった考え方です。
それは本来「自分の知識を増やしたい、もっとフランス語を自由に扱えるようになりたい」という+の方向と相反するものです。
「自分なりに解いてみたけれど、間違ってしまった」というのは、結果だけに注目すると一見マイナスのイメージになりがちですが、自分自身を見てみるとプラス方向に動いているのです。
目的は何なのか?「フランスセミナー」でもこの点についてお話しましたが、「間違うのが怖い」という場合、「フランス語をより効率的に習得する」という本来の目的が、「間違いを犯さない」というものに摩り替わってしまっているのです。
(たぶん、この辺りが以前考えていた「恋愛と語学学習は似ている」という点なのかもしれません。「振られるのが怖いから、自分の気持ちをごまかす」なんていうのは保身であって、本来の「好きな人と付き合えるようになる」という目的とずれてしまい、ジレンマに悩まされた結果よくわからない言動に出る・・・ということが、私はよくあります。。。)
ああ~勉強してて良かったー!と思える経験が、失敗の向こうに待っているとわかれば、間違えるというリスクを犯す勇気がでてくるんですよね。
上記はそんな「勉強してて良かった」と思った「ナントのおじいちゃん」からの一通のメール。妻を失った彼の想いが「echapper」「monotone」に、切なくも美しい影を落としています。どうか、残された時の中で、一瞬でも多く喜びを取り戻して欲しい、と心から思わずにはいられません。
ナントと、私の父が住むヴァンヌを往復して過ごし、時にはロシュフォールの海沿いにいる家族のところへと抜け出します。しかし、妻を亡くして以来、すべては私にとって動きを失ったようにしか思えないのです。
あなたの到着をたのしみにしています。
「monotone(モノトン)」=単調な
loin de me maitriser
もくもく。
おとといの夕方、車を運転していたら空が圧巻だったので、赤信号であわてて携帯を取り出す。
車内でのこういう携帯使用方法も、やっぱり減点の対象でしょうか。
水曜日のセミナー番外編へお越しくださった皆様ありがとうございました!
急な番外編でしたので前回より人数が少なかったものの、一人ひとりの顔を覚えることができました。
最後の自己紹介実践編では、皆さん同士の輪が自然に出来るのを見て、これをセミナーの頭にやれば良かったかな・・・とちょっと反省。前回に比べ機械の不具合などでキレが悪い展開で、お叱りの言葉を覚悟していたのですが、みなさま本当にお優しい方々でした。
中地区公民館のIさんが熱心に自主学習グループの音頭を取ってくださり、月に2回の水曜夜に新しいクラスで皆さんとの再会が楽しみ!
それにしても、迷いました。行きも帰りも。半泣きでハンドルを握りしめ、ザ・地図の読めない女と成り果てました。たどり着けて良かった・・・。
*****************************************
どうも最近のヨーガでは、頭の中が忙しいまま。
呼吸をしているとだんだん瞑想状態に入れるはずなのに、なぜか頭の働きが良くなって「あれもしないとな、あ、そうだ、これも忘れちゃだめだ、あのことはこうしよう、etc...」
そんな中でも、落ち着くとひとつの言葉が浮かんで来るのです。
「委ねる」
ついつい、生徒さん達が私の「どう思いましたか?」に沈黙すると、我慢が出来ずに
ああも考えられるよね、これもアリじゃない?と提案したり、誘導してしまうのですが、それは本来のそれぞれの考え方ではないわけです。
この間のNHK「プロフェッショナル」中で、小三治さんが、笑わせるのではない、自分の中から笑いがなんかこみ上げて来るのが本当だと言っていたのに、はっとしました。
バランスを取ろうとすると、あちこちに力が入って、かえってぐらぐらしてしまうのですが、自分の心の中に縦と横の線を描いて、それが自分を支えていると思うと、す、と真っ直ぐに立つことができます。
フランス語で、maîtriser(メトりゼ)という言葉があります。自分自身のmaître(師)になる、つまり「マスターする」こと。これ、掌握するということだと思っていたのですが、それは上記のバランスを取ろうとしてガチガチになっている状態で、実は「マスター」されていない。
本当の意味でのマスターは、手放している状態なのか・・・
などと、哲学めいたことを考えだした所で、リラクゼーション・テクニック(ヨーガの一連の動きの最後に行う)中に爆睡し、夢まで見てしまったのでした。
CINEFILE
明後日に迫ってきた中地区公民館フランスセミナー番外編。色々迷ったのですが、「シネマで楽しむひとことフランス語」というタイトルにしました。 しかし、今回単発の授業(90分)なので長編をお見せすることができず、残念! 抜粋を見てもらっても、その面白さはなかなか伝えきれないし・・・むむむ、どうするよ・・・ と、自分から「映画とフランス語会話学習くっつけたらどうですか?」などと提案しておいて、いきなり躓いていました。 結局、長編はあきらめてle court métrage(ショート・フィルム)を何本かお見せすることにしました。 フランスのショート・フィルムはなかなか質が高いものが多くて、その持ち味の皮肉な視点が生きているものが多いです。時間が限られているが上にお国柄というのが色濃く出てくるので、「癖が強い」印象となって、その「視点」や隠れたメッセージが日本人にとってなかなかわかりにくかったりするのですが、きちんとした解説があれば、とても面白く見られるものじゃないかなと思います。 今のところセミナーや授業では取り上げられないのですが、個人的には馬鹿馬鹿しいものも好きなのでフランス作品はうってつけ。なにしろ、ロシア人のお墨付きをもらってますし。 いつか「映画を見る会(仮)」を作って、くだらない物もだらだら上映したいな~。 会話マナーや挨拶練習には大体「海辺のポーリーヌ」を使っているのですが、今回はクロード・シャブロルの「La Fleur du Mal(悪の華)」の抜粋を使おうと思っています。この映画って日本では一般公開されていないのでしょうか?面白いのにな。 作品を色々選んでいて、ついでに整理をしてみたら、フランス映画だけでDVDが58本ありました。 100本になったら記念になにかやろうかな。
touchee
J.S. バッハ 「フランス組曲」 Suite 5
こころも、スケジュールも、なんだかダイナミックに動き始める。
「むかしの役に立たなさそうな経験」のひとつを、またもやお蔵から引っ張り出してみない?という話を貰った。
そう言ってくれる友達は、宝物。
よく、「お金持ちになると、もうお金が欲しいと思わなくなる」という話を聞くけれど、それと同じで、「人前に出たい」「目立ちたい」という欲求がなくなったとたんに、逆に引っ張って行ってくれる人が現れる、アイロニー。
この間のセミナーで、「芯」や「信」を持てないとプライドが高くなるという話をしたけれど、
私は、私のアイデンティティが何なのかがわからなくて、常に「私はここにいるよ!」「私だよ!」と、声を嗄らして叫び続けなければ、この世から消えてしまうような気がして、こわくてこわくて、無意識に「芝居」を選んでいた。結局、そこに「わたし」が居るわけもなく、熾烈な争いの中で私の声はだんだんかき消されてしまうことになったのだけれど。
きっと、さびしかったんだ。
「古い」友達が、時々はがきを送ってくれる。
「見てるよ」と言ってくれる。
「いつか会いたいね」と言ってくれる。
これも、宝物。
元気ですか?
たくさん語ったあの頃が懐かしいね。
あの頃の私の一部には、きみも居て、だから、会ってなくても力強く「生きている証」を感じていた。遠くに居たきみだけが、近くにいるひとたちが知らない私を知っていたんだよ。
あの頃から、本当は、「もういいよ、大丈夫、ここにいるから」と言ってくれる人が欲しかった。
今は、「大丈夫、私がここにいるから」と言えるようになろう。
Etre elite ou non, ca c'est la question
Faire des études à l'étranger, c'est désormais un chas à travers lequel "on fait passer le chameau" ?「らくだを針の穴に通す」=実現不可能と思えることに果敢に挑む
ゲートウェイ21破産について、ひとつ思い出すことがある。 あれはまだ、語学学校で落ちこぼれていたころ。 授業の後、「フランス語使用体験」をむさぼろうとよく先生方に「ぶらさがって」いた。 ある時、ある先生がこう言った。
« En fait, pour aller à l'étranger, il faut être déjà élite de son domaine dans son pays. » (留学するには、自国ですでにその分野のエリートであるべきなんだよ。)
これを聞いた私は、「このエリート主義野郎!」と猛然と襲い掛かり、首を絞めにかかった と、言いたいところですが、
「でも、それは、ひとつのエリートしゅぎですね」 (フランス語がつたない故に平坦な文しか言えなかったため、うっかり温厚な黄色人種を演じてしまう羽目になった。)
Putain merdeぐらい付けてやればよろしかったと歯噛みをするところです。 (その後、慌てて超イヤミを込めて「Ah VOUS ETES élitiste !」と言ったのですが、例の肩をすくめたポーズで「C'est comme ça(まぁ、ね、そういうこと)」と言われ、あっさり敗北。)
それでも、「Mais」というひとつの接続詞が思わぬ効力を発揮して、私の顔色が変わったのを目ざとく察知した先生は、もじゃもじゃ言い訳をするとさっさと話題を変えてしまいました。そのうろたえぶりからも、決して落ちこぼれをもって自任する私を皮肉ったわけではなかったみたいです。 語彙に乏しく、流暢でなくても伝わるんです。(逆に、先日のKouchener外相のように、hひとつの発音で揚げ足取りをされる場合もありますが)
この彼の発言、正直に言うとわからなくもない。 ひっかかるのは「であるべき」という部分だけれど、 留学はハイレベルであればあるほど楽しいと思うから。 高いお金を出してわざわざ外国に行って、自室に篭って宿題のコンジュゲゾンを唱えるなんて、ほんとコンジュゲ損だよなーと、思ったものです。その状態を幸せと感じられる人ならOKなんでしょうが、勉強の苦しみとかもだえとかに興奮や快感を感じない(?!)場合は、つらくて身体を壊してしまうことになりかねないし。海外で病気になると大変ですから。
私がフランスに行かなかったら出会わなかったであろう、いわゆる「エリート」と呼ばれる人たち(大学の教授方や、友達)と接してみると、やっぱり余裕を持っている分、何をするにも「満喫」できるんだろうなと感じました。 昨日はそんな内の一人、元ナント番長H氏に2年ぶりに会って思い出話で盛り上がりました。 新潟からナントに行った人は、口を揃えて「なんか地元にいるみたいだなー」という感想を漏らすのですが、ナントを知っていて初めて新潟に足を踏み入れたHさんが「ナントに似てる」という貴重な裏づけを下さいました。 そんな訪問者に「イタリア軒」の由来を教えてもらっちゃったりする、うかつな私。 そんなマニアックな話題であやしく新潟を満喫していたH氏でした。 今度はわっぱめしにしましょう。
Amour en cage
「籠の中の愛(こころ)」とは、鬼灯のこと。「ほおずき」という日本語の音もすてきだけれど、フランス語でもちょっといいじゃないですか?
今夏、残念ながら来られなかったLa Belle Vie Trio とコンタクトをとったら、サイトで流れている曲を全部ZIPで落とせるようにしてくれました。即効対応してくれたのですが、教えてくれたテレシャルジェ(ダウンロード)用URLが思いっきり間違っていたので半日を棒に振った・・・。
ナントが一応活動拠点のラ・ベル・ヴィ・トリオでキーボードを担当しているピエール・フランソワ君は現在オランダでジャズのマスターコースを取っていて、今年が最終学年。
オランダ生活はフランス生活よりも「インテリジェントだよ」と言っていました。
今後はパリで活動をしていくそう。ベルヴィ以外にも個人やコラボでステージに上がっていて、曲もかっこいいですよ。
サイトに行くと音楽が聴けます。
www.myspace.com/pierrefrancoisblanchard (フランス語サイト)
私らのナント滞在にあわせてオランダから来るとか言っていますが(まゆつば)、トリオでイベントに出てくれないかなー。
en cage と言えば、私もかんづまってセミナーの準備をしています。
講義内容はこんな感じでまとまりました。
1.フランス語、キーワードは「変わり者」
2.語学冒険譚
3. 日本で生かす語学
1時間30分で、残りは質疑応答タイムにできたらいいなーと思っています。
パリ症候群考ーあのときのわし
豊作。
うちの庭にはプルーンの木があって、収穫→煮る→瓶詰めをしていると、秋だなぁーとしみじみ・・・ したいのですが、
32℃もあっては無理です。早く涼しくなってけれ~
先日ここでもお知らせしました中地区公民館の「フランスセミナー」ですが、 あれから応募が増えて、いい感じだそうです。 あ、そうそう、終了の時間が20時45分となるそうなのでご注意。 私の回は10月1日ですが、来週月曜日が参加者に配る資料の締め切りということで仕上げにかかっておりました。
参考資料として読んだ太田博昭 著「パリ症候群」は、豊富なケース紹介とわかりやすい論理で秀逸でした。 留学する前に読んどきゃよかった。これからフランスに留学するならぜひ一読をお勧めします。 行くのが嫌になりそうだけれど・・・
今から7年前に出版された本ですが、ここに挙げられているフランス人というものと、それにぶつかる日本人の関係というのは基本的に変わっていないのでは。フランス人のメンタリティがよく分析されているし、日本人のコミュニケートの仕方がどんな壁にぶつかるのかを詳しく説明されていていちいち納得。 著者の太田先生は、自分自身も一外国人としてパリに長く住んでいたから恐らく患者自身と似たような体験もあっただろうし、発症した日本人たちをここまで数多く診てきて、邦仏人それぞれに対してほとほと嫌になる場面に遭遇し続けただろうな、という匂いがします。が、そこは精神科医、感情とは切り離して淡々とフランス人という人種に切り込んで、簡潔に特徴を見せてくれます。
ただ、実際にフランスに行ってここに書かれているようなディープな経験をしてない人が読むと、フランス人というのはみんな気まぐれお天気な屁理屈野郎で付き合うのに苦労する変人集団、と思ってしまうのではないかなー。
ま、実際そういうことありありなんだけど(Oups!)。
わかっていても、改めてこうして羅列される「フランス人」の姿は衝撃的にヤな感じです。
以前から、自分も含めて、留学者は(程度に差があるだろうけれど)精神的に不健康にならざるを得ないと考えていました。だって、自分のアイデンティティをばらして組み立てなおすしかない状況だし。 この本を読んでみると、やっぱりパリに限らずほとんどの渡仏人が発症「予備軍」に含まれるんじゃないかなーと思いました。
まあ、当時の私のように狂っている人が、自分の狂いっぷりに気づくわけがないので、結局後になってみないとそのイタさを実感できないものなんですけれどね。
パリ症候群というのはどんな人々か、というのをここに抜粋すると・・・
- 学歴も知的レベルも高いが、直感的、感覚的で、論理性が低く、イメージ思考が優勢、プライドは高いほうである
- フランス、特にパリに対する過度の憧れや思い入れがある。憧れのパターンがより観念的でしかも視覚的(メディアによる情報の影響)。
- 憧れや思い入れにはさして深い根拠がない。ちょっと聞きかじった哲学や文学・評論を基にフランス・パリをイメージ化し、理想化している。
- パック旅行などで、すでに海外渡航経験あり。
- このたびのパリ滞在には、それほど強い動機や目的がある訳ではない。漠然とパリで勉強したい、あるいは将来、パリで仕事がしたいと思っている。
- フランス語はかろうじて談笑できる程度であるが、自己評価は実際よりも高い。
- 日本の社会、文化については、トレンドの話はよく知っているが、歴史的な知識が驚くほど少ない。
- フランス人の友人がほとんどいない。女性の場合、フランス人男性と同棲していることもあるが、フランス人の友人は少ない。
- 来仏当初は「フランス礼賛」の傾向があり、日本や日本人の悪口を手ひどく言う。
- じきにフランス生活に不平や不満を持ち、フランスやフランス人の悪口を手ひどく言うようになるが、結局は「フランス大好き、フランス人大嫌い」に落ち着く。
- フランス人からなんとなく馬鹿にされている、という内容の「被害意識」が常にある。
- 体調が優れず、疲れやすい。軽い自律神経失調症状が幾つかあり、気分の波は日本にいたときよりも大きい。
- フランス滞在の満足度はむしろ低いにも拘らず、さしあたって帰国する気持ちは毛頭ない。日本にいる親や友人には、フランス生活をエンジョイしているような手紙を書く。
- 周囲から帰国を勧められた時の反応は「やはりパリ、それでもパリ」となる。
私の場合、パリ生活にはあんまり興味がなかったので(だからナントに行った)、そのあたりの憧れや妄想は特になかったのですが、その他の項目・・・
学歴も知的レベルも高いが、直感的、感覚的で、論理性が低く、イメージ思考が優勢、プライドは高いほうである
→ 学歴も知的レベルも低いけれど、以下はマル。
このたびのパリ滞在には、それほど強い動機や目的がある訳ではない。漠然とパリで勉強したい、あるいは将来、パリで仕事がしたいと思っている。
→ ま、パリではなかったけれど、当時のモチベーションは非常に曖昧模糊としたものでした。ので、マル。
フランス語はかろうじて談笑できる程度であるが、自己評価は実際よりも高い。
→ これも、当たってましたな・・・今は討論できるけど、なかなか勝てない。勝てなくても別にいいよ。死にぁしない。それより、勝とうとしてアグレッシブになっている目の釣りあがった自分を見たくないのよ。
来仏当初は「フランス礼賛」の傾向があり、日本や日本人の悪口を手ひどく言う。 じきにフランス生活に不平や不満を持ち、フランスやフランス人の悪口を手ひどく言うようになるが、結局は「フランス大好き、フランス人大嫌い」に落ち着く。
→ これは、当初ありましたね。留学してから初めて短期帰省したときに、スーツケースをウンウン言いながら引っ張って地下鉄の階段を降りているのに誰も手を貸してくれなかったから。でも、最後に見かねたサラリーマンのおじさんが「どれどれ」と降ろしてくれたので「日本も捨てたもんじゃないぜ」と思ったっけ。 現在の私は「フランスも日本もまあまあ好き、日本人もフランス人も、むかつくけどお互い様。フランス語大好き」に落ち着いています。
今度フランス行ったら、またこの辺のバランスが変わるかもしれないけれど。日本に居るほうが、あらゆる面で楽かなーと思っていましたが、やっぱり書類関係でのたらい回しは日本でも変わらない。特に保険関係。
慢性的な疲れは常にありましたね。「わたしゃガイジンです」って額に書いてあるように少なからず感じていたし、語学学校のときは周囲との差をいかに気にかけないかに粉骨砕身・・・努力するところを思いっきり間違っていたし、大学に入ってからはダブらないようにするので精一杯だったし、その間色々とわけのわからない目にも合いましたし(笑)。
周囲と自分が明らかに違っているというのが落ち着かないくせに、同族(日本人)とは一緒にしないでくれ!というよくわからない差別化の狭間で勝手に参っていた時期がありました。
日本の生活でたまった毒が、フランスの持つ毒に吸い寄せられて全部出た、って感じで、とにかくフランス時代のわたくしは、誰よりもヤなやつでありました。 それでも付き合ってくれた方々を思うと、発作的に「ア゛ー!!」と叫んで逃げ出したくなります。 ナントに行った時に、毒を盛られたりしないといいな・・・・
interieur interiorisE
マティスとルオー展。
木曜日に高速バスで長岡まで行ってまいりました。 朝早かったので雨に降られずに済んでよかった。 9時amからオープンはありがたいです。
見終わったころから人が増えてきました。
相変わらずのへそ曲がりっぷりなんですが、マティスとルオーよりも二人の師匠であるギュスターヴ・モローの作品がよかった。
あれは4年前・・・アイルランドの友達のところに遊びに行って、ロンドン経由で戻ってきたパリ。TGVに乗り遅れ、仕方なく北駅でホテルに泊まることに。 次の日は日曜日なのでお店は開いていないし、ついてないなぁ、と舌打ちしかけて、ふと気が付いたのがその日は第一日曜日だったこと(第一日曜日はすべての美術館・博物館が無料)。
一番近いのが「ギュスターヴ・モロー美術館」だったので、いそいそと9区へ向かったのでした。 出口で教えてもらって、そこから歩いて3分程のle Musée de la Vie romantique(ロマンティック美術館)の特別展を見に行く。
昨日のツキの悪さはこの辺でチャラにできたな~と、鼻歌交じり。でしたが・・・
G.モロー本人が晩年に自らアトリエを改装して美術館にしたこの建物は殺風景な坂道の途中にあって、広くはないけれど静かな佇まい。螺旋の階段が美しい。
写真はrmnより 壁を覆いつくす様に作品が掛けられていて、本を捲るように額を繰ると次の作品が出てくるわ出てくるわ。全部で6000作品。
次から次へとサロメやらオルフェウスやらジュピターやらが現れるデッサンは4831点もあるそうだ。 神話や聖書の登場人物をモチーフにした絵が多く、細かく描きこまれた独特の陰影は、当時サレ館(ピカソ美術館)にばかり足を向けていた私には重すぎて、
「あー、お好み焼きの後に月餅を3個飲み込んだみたいだ・・・」
とよろよろとツタの絡まるロマンティック美術館へ。
ここでようやく気づいた(遅い)のですが、当方「浪漫」はあんまり得意でなかったんです。
それを、「la Vie romantique」(それもVが大文字)が看板の美術館にのこのこやってくるんだから。 一度行った場所というのは大概覚えているのですが、この「ロマンティック美術館」だけは記憶がありません・・・
無料につられて入って、記憶喪失で出てくるとは失礼な話です。ごめんなさい。
・・・という思い出しかなかったので、恥ずかしながらギュスターヴ・モローという人がEcole des Beaux-Artsでマティスやルオーを教えていたこと、アーティストとしてだけでなく、教師として大変優れていたということも全く知りませんでした(_ _ ;)
今回新潟県立近代美術館で心に残ったのは「エマオでのキリストの十二使徒」 (原題Les Disciples d'Emmaüs) こちら→(Click!)で絵を見ることができます。色があまりよく出てないのが残念。 この情景はルカ伝に書かれている話で・・・
イエスが磔にあった後、その遺体が墓から消えてしまいます。
残された信者達は途方に暮れ、迫害を恐れエルサレムから脱出しようとします。この絵に描かれている二人の信者もその道中なのですが、そこに復活したイエスがひょっこり現れて「何の話をしているんですか?」と話しかけるんです。
「なんのって、この界隈で何があったか知らないなんて、あんたぐらいだろうな!」
と、何も知らない二人は磔の話をしてあげて、これからを嘆きます。イエスはそれを見て、聖書の話を道中二人に説いて聞かせます。途中の宿で、先を急ぐ風のイエスを引き止めた二人は一緒にテーブルを囲みます。
そこでおもむろにパンを取り祝福を唱えそれを二人に与えたイエスを見て、初めてこの二人はいったい今まで誰に話をしていたのか、ようやく気づくわけです。
しかし・・・ その瞬間にイエスはそこから消えてしまったため、二人はあわててエルサレムの使徒の元へと引き返します。そこで、十一使徒たちの話でイエスがシモンの前にも現れたことがわかるのです・・・
全体的にぼんやりしていて登場人物の顔もわからないのですが、それでも真ん中にイエスがひょっこり現れて、二人となんのこだわりもなく話している雰囲気がとてもいい。
不安を抱えながらもどこかuniversがほっとしているような、上ったばかりの月明かりに和んでしまいます。
以前は神話にしても聖書にしても、知識がなかったために、モローの絵はどれも「FF(ファイナル・ファンタジー)・・・?」になってしまったのですが、ひとつひとつじっくり見てみると、静かに燃えるような意思がひたひたと揺れているのがわかります。
ルオーの初期の作品は「レンブラントの再来」と言われ、師匠のモローの言葉に従い内面を描き出す作業に取り組んでいるのがよくわかります。 モローの作品にはどこかに必ずはっとするような小さな「光」が潜んでいるのですが、それはルオーにもマティスにも引き継がれているなーと感じました。
[La peinture est ] miroir des beautés physiques, réfléchit également les grands élans de l'âme, de l'esprit, du cœur et de l'imagination et répond à ces besoins divins de l'être humain de tous les temps. C'est la langue de Dieu ! Un jour viendra où l'on comprendra l'éloquence de cet art muet ; c'est cette éloquence dont le caractère et la puissance sur l'esprit n'ont pu être défini, à laquelle j'ai donné tous mes soins, tous mes efforts : l'évocation de la pensée par la ligne, l'arabesque et les moyens plastiques, voilà mon but.
(絵画とは) 肉体の美を映し出す鏡であり、同時に魂、精神、こころ、そしてイマジネーションの大いなるほとばしりを反射し、すべての時代の人間に宿る神々しい欲求に応えるものなのだ。これは神のことばなのだよ!いつか人々がこの「無口な芸術」の雄弁さをわかるときが来るだろう。雄弁さ、そこにある霊性の特徴や強さというものは計り知れず、それだからこそ私はそこに私の最大の心配りとあらゆる努力を込めるのだ。線を用いて、アラベスクで、さまざまな造形の手段によって図る思いの喚起、これこそが私の目的なのである。
ギュスターヴ・モローの言葉より
参考: Musée national Gustave Moreau(フランス語) La Bible de Jérusalem, Edition Desclèe De Brouzer, Paris, 1975
「無口なアートの雄弁さ」(l'éloquence de cet art muet)、のoxymoreが、フランス語おたく的にはたまりまへん。
Reve d'enfant
bon retour !
更新がなかなかできず、わざわざお越しいただいている方はごめんなさい。
少しだけ心身に余裕が出てきましたので、久しぶりに書きます。
5月に来たロワール管弦楽団と共演されたヴァイオリニストの戸田弥生さん。
この方の2006年のアルバム「Rêve d'enfant」を運転中に聴くことが多くなった。
音の好みとして、ヴァイオリンよりもチェロのほうが好きだったのだけれど、この人の奏でるヴァイオリンは本当に素晴らしい。
「音」と呼ぶよりは、なにかほかのもっと違う呼び方が似合うような、まろやかで、ちょっと哀愁が漂っていて、ユーモアと母性がまざったものー
それが、1740年製ピエトロ・ガルネリから生まれるから、というだけでは決してないと感じる。
打ち上げの時ONPLのデカいフランス人達から離れて、まるでそこにいるのが申し訳ないような、もてあましているような感じでいた戸田さんとちょっとだけ話した時のことが印象に残っている。
現在は地方に住んでいて東京まで通っていること、二児の母で、子育てと音楽の両立は大変だけれど、子供がいるからこそ音楽を続ける力になっていることを話をそっとしてくれた。
その話を聞いていたから、この「子供の夢」というタイトルのアルバムは、感覚的にとても「理解」できる。
タイトルになっているウジェーヌ・イザイのこの作品は、ヴァイオリンとピアノのアンサンブルがとても美しい。
チャップリンの「独裁者」は何度見ても飽きない大好きな作品で、たぶん日本で・フランスであわせて10回は見ていると思う。
中でも、ユダヤ人で記憶をなくした床屋のチャーリーが、ブラームスの「ハンガリー舞曲 No.5」にあわせてお客さんのひげをそるシーンが大好き。
戸田さんのアルバムの中には「ハンガリー舞曲」と共に、「モダン・タイムス」のラストで流れる「Smile」という曲が入っている。
この選曲だけでも、もうこのアーティストを好きになってしまう。単純と言われてもいい。
色々書くことが溜まっているのですが、とりあえず、ま、落ち着けよ、と手を伸ばすこのCDのお話をリハビリ代わりに。
調子を取り戻すまで、しばしお待ちあれ。
おしらせ
モブログ更新。インターネット接続に不具合があり、更新ができずにいます…本気でKDDIから移行考えちゃうな~ メール、お問い合わせなど、返信は来週以降になると思います。ご迷惑をおかけします(auoneが!!)