Comme si c'était un joyeux compagnon !
3月1日の成嶋志保さんのリサイタルにお越しいただいた方には、心よりお礼を申し上げます。
たくさんの方に聴いていただけて、とても幸せです。
初めての試みでしたが、「ピアノととても合っていた」という感想を数多くいただけたことが一番の収穫でした。
会場がとても反響するホールだったので、マイクを置いたのがいい効果になっていたようです。
ナントで出演した最後の舞台は2005年、日本で舞台に上がったのは実に6年ぶりで、発声も集中力も恐ろしく衰えており、更に思いがけない入院で、志保ちゃんサイドの皆様には大変なご迷惑をおかけすることになってしまいました。
打ち上げで、小学校を回ったらどうかというお話が出て、かなり盛り上がりました。
小学生相手であれば、やっぱり念願の(?)ロバの着ぐるみでしょうか・・・
新潟・フランス協会にいると、あれよあれよと楽しい企画が出てくるので飽きません。
志保ちゃんのほかの演目の演奏を聞けなかったのが残念でした~。最後のリストは特に、袖で聴いていても本当に素晴らしかった!観客席で聞きたかったです。ドビュッシーの「ベルガマスク」も、好きな演目でしたし・・・
成嶋さんは4月の終わりにまた新潟で演奏会をしてくださいます。今度は井上静香さんとのヴァイオリン=ピアノデュオです。このコンビは昨年以来ですが、息の合った二人の演奏は本当にお勧めです!
さて、La fête est terminée,また日常が始まります。
かつて一年に2~3本の芝居をやっていた時、「あ~やっぱり向いてないなぁ」と自覚する瞬間がありました。それは、幕が上がる時や、稽古中ではなく、科白だの立ち位置だの仕込みだの明かりだのということから開放されて、「普通」に戻れることに何よりもほっとし、嬉しく感じているのに気づいた時でした。
そんな時、「そんなことを思うなんて芝居人として失格だ」という後ろめたさと、「こんな風に感じるということは、やっぱり私は芝居という世界では生きていけないのではないか」という不安と焦りが混ざった、なんとも居えない苦い気持ちになったものです。
あれから時が経ち、それなりにずうずうしくなってみると、ひとにはそれぞれスタンスがあって、どういうアプローチで芝居に関わるかを、「devoir(ねばならない)」という言葉を使って決め付ける必要などないと思えるようになりました。
フランス語を学習する上でも同じ気持ちです。
フランス語を勉強したくていらっしゃる方々でも、人によって様々です。たま~にフランス語を思い出して関わっているのが丁度いい、という場合があるし、関わる分野にもそれぞれのこだわりがあるだろうし、好きで始めたつもりなのに、「あ~今日は授業がある、かったるいな~」「辞書で調べていくの、めんどいな~」という気持ちになってしまうことってあると思います(私も多々ありました)。
「知らない」ということを常に突きつけられるリスクがあり、また、実際に突きつけられ続ける語学学習というのはしんどいものです。そこから逃げたくなる気持ちを責めても、許しすぎても、上達は叶いません。うまく制御しつつ・・・というのが理想ですが、何か大きな目的があったり、相当合理的で自己コントロールの上手い方でなければ、なかなか難しい。
イヤになった時には、見て見ぬふりをせず、一旦やめてみるのもいいのかもしれませんね
(と、自分の首を絞めるようなことを・・・)
失ってみて、初めてその素晴らしさや有難さがわかったりすることってよくありますし。止めてしまう自分を否定しない、というのも大切。そして、また始めたくなる時が来たら、もう一度ページを開けばいいだけのことなんです。