Transition

死に立ち会う。

不思議と近い感覚を抱きながら、どうしようもなく遠い存在。本来なら、わたしには何も語る資格のないであろうひとつの死。けれど、こうして儀式に参加することになる。

初めてお見舞いに行った帰り、少し後悔していた。もっと、ちゃんとご挨拶すればよかった、たとえ「聞こえない」かもしれないとしても。たとえ、ぎょっとされたとしても。パフォーマンスだとか、変わり者だとか思われて、色々と迷惑がかかるかもしれないとしても。そんなこと、たいしたことじゃないじゃないか。

あの時、おじいちゃんは指を動かして、酸素計測器をはずしてしまった。私はそれに気づいて、おばあちゃんに言った。そうじゃなかった。おじいちゃんは、きっと「よく来たね」とわたしと話をしようとしてくれたのだ。わたしはその指をにぎって、 「こんにちは、はじめまして」 と言えばよかったと、帰り道にずっと考え続けていた。

お盆にはもう一度行って、今度はちゃんと「もう知っているかもしれませんが、まりといいます。よろしくお願いします。」と言おう、と。 そういう後悔は大体「アトノマツリ」になる。 そのひとが、もうそこにいない、という事実は亡骸を見れば一目瞭然なのに、いよいよという瞬間までぼんやりとしていて、魂に包まれていた身体が無くなってしまうという現実につきつけられて胸が苦しくなる。好きな人が悲しんでいるのはつらい。どんどん透明になっていってしまうようで。大切な人たちが悲しんでいるのはつらい。この場面にいままで幾度か立ち会っているけれど、その都度そう思う。自分が悲しいよりつらい。 おじいちゃんとは、ほんの少しだけすれ違っただけだけれど、これからも続いて行くひとつの歴史の中にわたしも組み込まれて行くんだ。家族に支えられている。しっかり守って受け渡していかなくちゃな。

FIN DE SEMESTRE (学期末)

"L'école est (presque) finie" pour mes étudiants, et maintenant c'est boulot boulot pour la prof...

試験は先生も怖いんだ。生徒が書いたり消したりした苦労の跡の答案を見るのには勇気がいる。 もし、全然解けていなかったら・・・ もし、易し過ぎてつまらなかったら・・・ もし、説明が理解してもらえていなかったら・・・ 生徒の答えに赤を入れるのに快感を感じるサディスティックな先生もいるかもしれないが、わたしの場合は赤い線(エラー部分には下線を入れるようにしている)を入れる度に自分にも同じだけ×が入るような気がしてしまう。 ので、今は全身朱色の耳無し法一みたいになっとるところです。

フランス語って、やっぱり難しい。嫌みでなく、そう思います。 かつて絶望を感じた難しさや面倒さというのが過去の思い出になってくると、つい「あー、あのややこしさねぇ。まぁ、精一杯がんばりなよ」みたいな、経験者の上から目線でにやにやしてしまいそうになる。そういう態度は語学嫌いを増やすだけだし、今現在の苦しみをわかって、なんとかしてくれない先生じゃ、相談する気も失せる。だから、なるべくその苦しみを共有するようにはしているのですが...

白状すると、 フランス語をある程度のレベルまで続けて来ると、文法上の難問には、もはや苦しみでなく美しさを見出すようになってくるわけで・・・まぁ、フランス語を長く続けているやつなんて変態に近いものがあるからな。世の中には、アブナイ人がたくさんいるのですよ。

今朝からなぜだか懐かしいBen Folds Fiveの「Where‘s Summer B. ?」が頭の中でぐるぐる回っている。解消するにはピアノのふたを開けるしかないか。 EXTENSION58は本日ツアー最終日で大阪に乗り込んでいます。6時間かけて行き、6時間かけて戻って来る・・・よくやりますよ、「新潟の笹団子野郎」たちは。ツィッターで色々報告してくれるので、見ていると面白い。

http://twitter.com/#!/EXTENSION58 前回の動画がかなり映像が遅れるiPod touchの謎現象ムービーだったので、ズレないやつを。 

誰か、iPod touchで撮る動画の映像が音声より遅れるバグの解決法を教えて下さい。リセットしたらいいのかな。

Purification 浄化

わたしがEXTENSION58というバンドを知ってから、8月でまだたった2年なのだけれど、その間に2回同じ光景に遭遇した。

一度目は、わたしにとって2回目のライヴで、丁度15周年記念のワンマンだった。 連れて来てくれた友人が、当時、家庭の事情で心も頭もそのことでよじれるようになっていた。第三者が端で聞いていてもやるせない気持ちになってしまう位だから、当事者の家族である彼女の具合が悪くなってもおかしくない。 ライヴの途中から少しずつ吹っ切れて来て、終わった時には顔色が良くなっていた。悩んでも仕方ないから、もうやめたと言って笑った。

二度目は一昨日、SUNSHINE LOVE TOUR 2011 新潟2daysの二日目、海の家nefでのイベント「ベルウッド・ストック2011」で。 思い立ってモブログからリハーサル中の写真をUPしたら、それを見て、ふらりとやって来てくれた方がいた。 彼も、仕事で思うように行かないことがあって気分転換に来たと話してくれたのだけれど、終わった後話した時にはやっぱり顔色が良くなっていた。自分と同年代で、同じように

「地方都市新潟を拠点にがんばっているおじさんとして」。

たぶん、4人のおじさんたちは(笑)、(そう思うことも折にふれあるだろうけれど)「元気をわけてあげたい」を主たる目的として活動しているわけではないと思うし、彼ら自身もそれぞれ生活の中で浮き沈みがあると思うから常に元気なわけではない(鈴木さんは1日目に歯茎が腫れていたし・・・)。だけど音楽が好きで、演奏が好きで、みんなと一緒に自分たちがやっていることが好きで、その「好き」には、心に溜ったいらないものを溶かしてしまう力があるんだと思う。

先日「好き」という言葉についてちょっと書いたけれど、彼らの音楽には、「好き」の原始的な力がいつも満ち満ちているんだと改めて感じた。 好きなことを、機嫌良くやっているって自分を振り返ってもあまりないような気がする。 そこまで、自分の仕事なり趣味なりを全力で愛しているかっていうと、好きなはずなのに、全力出せていないよなぁ。

わ、「ひたむき」だ。今年の標語(すっかり記憶から抜け落ちていた)。 よっしゃーやるぞー、わたしも。 久々に聞いたTHE DISAPPOINTMENT (in 3rd アルバム「THE DAYS IN THE WATER」)少々いっこく堂(音が遅れる)。

Source: https://unsplash.com/@dannayyyboi

Here Comes Sunshine

SunshineLove タイヨウガコイシイ。
やっとこさ手もとに。EXTENSION58の新作ミニアルバムSunshine Love。 ポスター +PASmagazine 6と7月号。パスマガの記事で鈴木さんと斎藤さんの名前があべこべに書かれていましたが・・・後ろ姿でわかるけど。 ポスター(教室に貼る)の写真、意外なる大きさに一人うろたえております。背中向いててくれて良かった(笑)。 あした(今日)からツアーが始まりますね。いってらっさい、梅雨の日本列島に真夏の愛と太陽をじゃんじゃん降り注ぎに!新潟で夢見て待ってますよぅ、やみつき純情ロック! EXTENSION58 [SUNSHINE LOVE TOUR 2011] 2011/05/29 sun 長野 NEON HALL(026-237-2719) 2011/06/05 sun 東京新宿 red cloth(03-3202-5320)ローソンチケット(Lコード:75273)発売中 2011/06/12 sun 秋田 CLUB SWINDLE(018-865-7150) 2011/07/02 sat 新潟 GOLDEN PIGS RED STAGE(025-201-9981) 2011/07/03 sun 新潟 青山海岸 nef【bellWOODSTOCK Music Festival 2011】(025-267-7009) 2011/07/10 sun 仙台 LIVE HOUSE enn 3rd(022-212-2678) 2011/07/24 sun 大阪十三 FANDANGO(06-6308-1621) チケットは各会場の他エクステンションのホームページからも予約できます。

Voici ce que je peux faire(できることを)

こんなことしかできませんが、「思う」ことや「祈る」ことをたくさんしようと思う。何語であれ。 フランス語を勉強している人は、どうぞこんな時にどんな風に気持ちを表現すればいいのかを学んで、どうぞ誰かに伝えてください。それは単に外国語を丸暗記するのではなくて、どうしてその言葉を使うのかをやっぱり日本語で理解して覚えて欲しい。(そうでないと覚えられないし忘れてしまう。) ここのところ、ますます強く思うのだけれど、語学を自分の生きている地面から切り離してはだめだ。

フランス語で「お悔やみ」の表現をする時、使われる言葉はいくつかあるけれど、一番よく見かけるのが

sympathie (サンパティ)

「シンパシー」、「共感」。

昨日は公民館の生徒さん達と、「もし自分が被災者の立場だったとしたら、どんな言葉を伝えられたら力になる?」と考えた。 語学をやっていなければ、紋切り型に「オクヤミモウシアゲマス」を唱えるだけだったかもしれないけれど、外国語のお陰でこうやって改めて考えることができる。 辞書を引けば、「同情」という言葉は出てくるけれど、もし私が被災者で「同情いたします」と言われたら、気持ちはわかるけれどきっとなんとなくもやもやしてしまうと思う。

すると、Kさんが 「あなた方と共にいます、という気持ち」 とおっしゃった。まさに、それが「sympathie」という言葉を使う理由なのだと思う。

Je tiens à exprimer ma sincère sympathie aux victimes et à leurs proches et à leur/nous souhaiter de trouver du courage pour surmonter ces épreuves. 被害者の方とその近しい方へ心からのお悔やみを申し上げます。皆様が、そして私たちがこの試練を乗り越える勇気を見つけられるように強く望んでおります。

tenir à + 原型:~することを切望する。何かを強く伝えたい時、何かをせずにはいられない気持ちを表す。 exprimer sa symapathie à qn : お悔やみの気持ちを述べる。exprimerの代わりにadresserでもOK。 surmonter : sur(~の上に)とmonter(上る)が合体した動詞。乗り越える。 épreuves:試練(複数で使う)。普段は試験、テストという意味でも使われる。「試験をする」という動詞はéprouver、綴りが違うので注意。

国連のパン事務総長の言葉は、この立場の人が言うから大きな力になるものだ。

[...] je sais qu’ils [les Japonais] surmonteront cette terrible tragédie. 私は、日本の皆さんがこの大きな苦難を乗り越えるということを確信しています。

未来形というのは、様々なニュアンスを醸し出せる時制。その豊かさには思わずイイコイイコしてしまいたくなる(フランス語おたくごころ)。ここではpouvoirの意味で使っています。 そして、savoirを現在形で敢えて断定的に使うことで、「あなた方ならできる」と、これもpouvoirを使わずして暗に励ますことができる。父性的な力強さがありながら、そっと背中を押すような母性的な表現になっているのです。 がんばろう。それしか言えないけど。