フランス語を始めたばかりの学生達30人に文法を学ぶことについてのアンケートをとりました。彼らが文法学習を、そして語学をどんな風に捉えているのかを、ここで紹介しようと思います。私たちの考えが、どれだけマスコミやオトナ達の意見に「洗脳」され、振り回されているのかが顕著になっています。
かく言うわたし自身も「文法よりコミュニケーション信者」のひとりでした。語学学校の先生達に「まりは日本人らしくない(ほど、文法はめちゃくちゃなくせに、よく話す)」と言われることに鼻を高くしていたおばかさんでした。けれど、ある時、その学習姿勢ががいかに人を馬鹿にした失礼なものであるかと気づいたのでした。あの時のわたしよ消滅してくれ。
Au temps pour moi.
わたしが学習する上で文法をどう考えているかを含めて、学生達に配ったものを掲げておきます。偉そうにめんどくさいことを言ってやがると思われますでしょうが、お許し下さい。 (そして、久しぶりに書いているくせに、なげーよ!という読者の方、ごめんなさい。)
今日、新しい言語を習得しようと思う時、「文法」という学習項目が出てくるのは当たり前になっている。その文法学習は、一般的に、難しく扱いが面倒で、こちらの自由な表現を無慈悲に踏みにじり、無理難題を押し付けてくる暴君のようなものとして、むやみに恐れられたり避けられたりしている。そんなものを愛して止まないという初級学習者は稀であり、そのイメージから語学学習を躊躇したり挫折したりする学習者が後を絶たないため、危機を感じた「外国語学習産業」は「文法などわからなくても、気持ちがあれば伝わります!」「難しい文法ばかり得意になってもコミュニケーションができなければ意味がありません」などと文法軽視を扇動するようになった。自信や勇気のない学習者たちはこの気持ちのいい文言に飛びつき、まるきり洗脳されてしまっている。
確かに、文法学習は小難しそうな専門用語が多くすんなり飲み込めるとはとても言えないし、「おばちゃんが外国人に日本語でしゃべり通して意思疎通をしてしまう」、などというシーンもよく見かける。なにより、「英語を6年以上も勉強しているのにしゃべれない日本人」はすべて文法重視の学習方法によって作られたとマスコミが熱心に糾弾している。
しかし、新たに1つの外国語に取り組む今、もう一度考えてみよう。本当に「文法なんか語学にはあまり必要ない」のか?そもそも、「文法」というのは1つの言語にとって何の為にあるのか?単語を並べた「コミュニケーション」で十分だというのは日本人の勝手な自己弁護ではないだろうか? ここで、フランス語学習者になるみなさんに文法学習に対する率直な意見を聞いて、その意義を考え直してみたい。この考察は、現在盛んに言われている(そしてみなさん学習者が盛んに主張する)「コミュニケーション力」の正しい理解に繋がっていくことになるだろう。
※学生達には次のような問いに答えてもらっています。
語学学習にとって、文法とは、言い換えれば「______ 」である。 なぜ、そう考えるかというと...
早速、一番多かった意見から見ていこう。文法とは学習の「土台」「基礎」のことある、という意見だ。
(みなさんの意見を全文又は抜粋して載せました。[ ]内は文章を読み易くするために付け加え、場合によって編集してあります。)
「土台」 どんな言語でも、文法がわからなければ話せないし、文法は言語の基礎となるものだから。
「土台」 単語を知らないと文がわからないのと同様に文法がわからないと意味を正しく理解できないと思います。[中略] 文法とかを覚えるのがすごく苦手なのですが、一生懸命勉強したいと思います。
「2番目」 文法だけが分かっても、文は読めないと思うからです。私は単語を覚えることが一番だと考えています。もちろん、単語だけでも文の意味は理解できないので[中略] 単語も文法も両方大切にすべきだと思います。
「ベース」 吹奏楽でいうベースと同じで、いくら旋律や見栄えが良くてもベースのできていないバンドは本当の良い音は出ていないと言われた。いわば文法だと思う。
「植物の根」 植物の根が、植物全体を支えるのと同じように、文法は書く・読む・話すという語学学習の3つの面をすべて支えるものであるから。(註:できれば「聞く」も入れて4つの面にして下さい。) また文法という語学学習全体を支えるものが不安定だとその文だけせまい知識の中でしか表現できないが、文法がしっかり身に付いていれば表現の幅が広がりよりコミュニケーション力や会話力は伸びるから。
「積み木の一部」 単語や会話の定句だけでもコミュニケーションができるとは言われるが、文法も学ぶことでより速く上達できるし、自分の考えていることより表現できるようになると思うからだ。語学学習の大事な要素の1つである。(註:「定句」とは「連歌で定型にはまったつまらない句」のこと。ある意味、当たっているとも言えるが、ここでは「定型句」が正しい。)
「文法は基礎だ」「基礎が大切だ」と言われて勉強して来てわかったのは、「文法がわからなければ話せない」けれど「文法だけが分かっても、文は読めない」。 単語や「丸暗記の会話文」だけでも「コミュニケーションができる」と知っているから、文法がなぜ必要なのか本当のところはよくわからない。でも、そんなことをぶっちゃけてしまってはいけない気がするので、とりあえず大切だと思うことにしている・・・。でも、なんで大切なのかやっぱり謎、というみなさんの腑に落ちない気持ちがちらちらと見える。
「謎」 日本人が外国人と話をする時、頑張って身ぶり・手ぶりを交えたり、簡単な単語を並べれば話を通じさせることができる。それに、ハーフの友達に尋ねたところ、会話上文法はあまり用いないらしい。それなのに、語学力を広げるため文法の勉強は続けなければならず、また難しく理解に苦しむので文法は私の中で謎なのである。
これが本音。そうだ、この際本音を言ってしまおう。
「試験でいい点を取るために必要なもの」 実際にフランスに行ってフランス人とコミュニケーションをとる場合には文法はそこまで重要ではないと思うからです。ある程度単語がわかるならジェスチャーを用いれば文法がめちゃくちゃでも会話は通じるはずです。だから文法を学ぶことは実践向けというより、試験向けの学習だと考えます。
「知っているに超したことはない程度のもの」 これまで、中学校から高校にかけて英語を勉強して来たが、学校の授業では文法についてばかりを教えられ、書かれた英文を読むことはできるようになったが、実際にしゃべることがほとんどできない。それは私だけに限ったことではなく、周囲の人を見ても同じ様子である。なぜ外国語を学ぶのかという目的はそれぞれ異なるだろうが、私はその言語で人とコミュニケーションできるようになるために学びたいと思う。ゆえに、話せるようになることが語学学習の目的だ。
「近道」 フランス語を否応無しに使わなければならない環境に身を置けば、必ずしも文法を学ばなくても、ある程度できるようになるし、文法も後付けで身に付くのではないか。しかし、それにはかなりの時間がかかるし、お金もかかる。先に文法を学んでおけば、他の要素の理解も早まるだろうし、何より、手っ取り早く身近な環境でフランス語の勉強を始めることができると思うから。
「文法よりもコミュニケーション」。近頃、嫌という程耳にするフレーズである。型にはまったルールに則るより、自分から湧き出る意思や感情の思うがままに、自由に表現したい。そうやってコミュニケーションしていくうちに、決まりなんて自然に身に付いてくるはずだ。それに、ネイティブだってしゃべるときは文法のことなんか考えていないという。自分だって日本語を話している時に文法のことを考えたりしないし、そもそも日本語の文法なんてわからないのだから。
しかし、会話で文法が必要ないのだとしたら、なぜ文法なんてモノが存在するのだろう...? (中編に続く)