がんばろう。がんばろう。がんばって生きよう。
何を暢気な、と言われると思われますが、この天災が起こって以来「ことば」について考えている。 あの津波の映像を前にして、言葉を失った。 今、何をどう言おうとすべて「傍観者」としての言葉にしかならない。黙るしかなかった。 とりあえずすぐにYahoo!で募金はしたのだが、今朝のコボちゃん(読売朝刊)に簡単に負ける額だった。多分多くの人と同様、自分には何もできない、という焦燥感ばかりを飲み込んで暮らした。 とにかく、怖かった。新潟も相当揺れた。大事な人と全く連絡が取れなくなった。日常が歪んで、崩れた。 こんなに「ことば」で繋がっているのだ、わたしたちは。なんて危ういんだろう。 大災害を前にして言葉の無力さを感じると同時に、それ自身が持つ力も改めて痛感した。 みんな、「大丈夫だから、何とかするから」と言って欲しい。けれど、明らかにタイミングを外した演説や、まるで意味不明の、記号の羅列でしかない説明(フランス語では「シャラビアcharabia」と言う)は、絶望的に誰の心も救えない。 前々から言われてきた事だけれど、言葉をどう発するか、どんな風に伝えるか、いつ伝えるのかという選択、発信の総合的な力は、私たちの国の教育においてあまりにもないがしろにされている。発信するというのは、責任が重く、勇気がいる。どんなに繕っても、心は丸裸になる。普段から訓練していなければ、咄嗟に誰かを助けることばをかけられるだけの強さを持てるわけがない。 ことばの力というのは、こころの力でもある。やさしさという力でもある。 語るのであれば、そういうあかりを灯せることばを口にしたい。 教えるのであれば、そういうことばを語れるひとになって下さい、と伝えたい。 実は、3月の初めから手術のために入院していました。例の好酸球がらみで。手術は無事成功し、退院した翌日の出来事でした。もし、私が一週間手術日を伸ばしていたら、時間的にも手術の真っ最中にあの地震が起きて、どうなっていたかわかりません。 どうか、どうか、一人でも多くの方が、早く暖を取れますように、早く「もう大丈夫」と口に出来ますように。 Tenez bon !