2007年、フランスから帰ってきて、12/1(土)にフランス語教室を始めた。 あれから5年。
細々と続けて、でも続けられている。 様々な人に支えられながら。
この年月は、「5年も」とも言えるし、「5年しか」とも言える。 その間に試行錯誤して、自分なりのスタイルができたかというと、ぜんぜんそんなことはなくて、まだまだ細胞分裂を繰り返している。どうしたら、もっとわくわくする90分になるか、どうしたら一つ一つの知識を実生活に活かせるか(日本での日常生活に、教室で学んだことを応用できるような授業というのが、はじめた時からの命題なのです。かなりいきっている)。 けれど、少しわかったこともある。私は教えているんじゃなくって、いつでも生徒さんに教わっているということ。
うちの教室の生徒さんたちは、上は70歳近く、下は20歳過ぎ(現役学生たちを含めれば、もっと年齢層は下がる)と様々な年齢だけれど、ほとんどの方が私より年上で、たくさんの人生経験がある。そういう人たちに「先生」と呼んでもらうだけでもどえらいことで、いつもどこかで「こんな若造が、偉そうにしてすんません」と手を合わせている。
確かに、わたしは、生徒さんたちが知らなかったり、そこまでマニアックに追求するほど熱意の湧かないような事柄に少し多めに首を突っ込んでいる。でも、それだけ。多少冒険しているだけ。 でも、それがわたしにできることなのだとしたら、その冒険を地味に続けていこうと思います。
この間、通訳プラス翻訳の二乗で目が回っていたとき、夫君のおかあさんがこういった。
「まりさん、何事も種まきよ、種まき。今やっと芽が出てきたんだから、がんばりなさい。」
相変わらず、おかあさんの一言にははっとさせられる。
ところで、昨日テレビを見ていたら、どじょうさんがこう言っていた。
「私たちは、ばらまきではなく、たねまきをして行きます。」
言葉は、その発信元によってこんなにもその内容(シニフィエ)の価値が変形するのねぇと感心した。もはや誰も、これを聞いて「なかなかうまいこと言うね」と膝をたたいたりしない。 言う人が言えば、ただの下ネタにもなるよな、これ。
そういうわけで(ザ・日本語的まとめ) みなさま、ありがとうございます。
追記:毎回読んで下さっている方々も、ありがとうございます。