Faire des études à l'étranger, c'est désormais un chas à travers lequel "on fait passer le chameau" ?「らくだを針の穴に通す」=実現不可能と思えることに果敢に挑む
ゲートウェイ21破産について、ひとつ思い出すことがある。 あれはまだ、語学学校で落ちこぼれていたころ。 授業の後、「フランス語使用体験」をむさぼろうとよく先生方に「ぶらさがって」いた。 ある時、ある先生がこう言った。
« En fait, pour aller à l'étranger, il faut être déjà élite de son domaine dans son pays. » (留学するには、自国ですでにその分野のエリートであるべきなんだよ。)
これを聞いた私は、「このエリート主義野郎!」と猛然と襲い掛かり、首を絞めにかかった と、言いたいところですが、
「でも、それは、ひとつのエリートしゅぎですね」 (フランス語がつたない故に平坦な文しか言えなかったため、うっかり温厚な黄色人種を演じてしまう羽目になった。)
Putain merdeぐらい付けてやればよろしかったと歯噛みをするところです。 (その後、慌てて超イヤミを込めて「Ah VOUS ETES élitiste !」と言ったのですが、例の肩をすくめたポーズで「C'est comme ça(まぁ、ね、そういうこと)」と言われ、あっさり敗北。)
それでも、「Mais」というひとつの接続詞が思わぬ効力を発揮して、私の顔色が変わったのを目ざとく察知した先生は、もじゃもじゃ言い訳をするとさっさと話題を変えてしまいました。そのうろたえぶりからも、決して落ちこぼれをもって自任する私を皮肉ったわけではなかったみたいです。 語彙に乏しく、流暢でなくても伝わるんです。(逆に、先日のKouchener外相のように、hひとつの発音で揚げ足取りをされる場合もありますが)
この彼の発言、正直に言うとわからなくもない。 ひっかかるのは「であるべき」という部分だけれど、 留学はハイレベルであればあるほど楽しいと思うから。 高いお金を出してわざわざ外国に行って、自室に篭って宿題のコンジュゲゾンを唱えるなんて、ほんとコンジュゲ損だよなーと、思ったものです。その状態を幸せと感じられる人ならOKなんでしょうが、勉強の苦しみとかもだえとかに興奮や快感を感じない(?!)場合は、つらくて身体を壊してしまうことになりかねないし。海外で病気になると大変ですから。
私がフランスに行かなかったら出会わなかったであろう、いわゆる「エリート」と呼ばれる人たち(大学の教授方や、友達)と接してみると、やっぱり余裕を持っている分、何をするにも「満喫」できるんだろうなと感じました。 昨日はそんな内の一人、元ナント番長H氏に2年ぶりに会って思い出話で盛り上がりました。 新潟からナントに行った人は、口を揃えて「なんか地元にいるみたいだなー」という感想を漏らすのですが、ナントを知っていて初めて新潟に足を踏み入れたHさんが「ナントに似てる」という貴重な裏づけを下さいました。 そんな訪問者に「イタリア軒」の由来を教えてもらっちゃったりする、うかつな私。 そんなマニアックな話題であやしく新潟を満喫していたH氏でした。 今度はわっぱめしにしましょう。