かた雪かんこ
しみ雪しんこ
鹿の子ぁ嫁ぃほしいほしい
宮沢賢治「雪わたり」
衝撃的事実を明かしますと・・・ フランスのテレビの気象情報は、どのチャンネルもつっこみどころ満載ですが、 個人的に一番気になっていたのはTF1の月~木担当のおばさんの露出過激な服装と、マージ・シンプソン(仏語吹き替え版)激似の喋り方。
おっと、衝撃的なのはそんなことではなくて(ま、ある意味衝撃的ではあるんですが)。 日本人が「雪が降っている」を習うとだいたい Il neige(イル・ネージュ) となるのですが、実際、天気予報でこう言われることは結構稀なのです。
雪が降るでしょうという時は、 flocon(フロコン、un、ふわふわした塊のこと。綿片、オートミールなど。) を複数形で使って、
Quelques flocons (sont) possibles en Ils-de-France イル・ド・フランスで雪がちらつく可能性があります
になるし、雪が積もる場合は une bonne couche de neige と、couhe(クシュ、une 層)を使います。
あ、雪!という時に「イル・ネージュ」と思わず口から出るのは外国人だけという・・・ ま、それは乱暴な話で、日常会話で使われることもありますが、ちょっと衝撃的じゃないですか?
さて、La neige tombe sur la ville de Niigata・・・2008年初雪です。 昨日は風邪気味の上に、明日引っこ抜く親知らずが最後の主張を力なく行い、なんとなくおたふくな顔でごろごろするはめになってしまいました・・・。 そこで、一時期忙しさにまぎれて途中になっていた、ロンブ・カトーの「わたしの外国語学習法 (ちくま学芸文庫)」を読むことに。以下、長くなりますのでお時間があるときにでも。 ねじれてるひと。
以前この本を紹介したときに、「一週間に平均して10~12時間以上学習しないと身につかない」という件を抜粋したところ、思わぬ反響があったのですが・・・ 記事を読む→フラ語上達の技。 終盤のほうに、またもやガーン!となるやもしれぬ公式を発見しました。 『語学的才能について』という章に記されているのですが、
消費された時間+意欲(関心度) =結果 羞恥心
上リンクの前回の記事で、確か、「一番いい単語暗記の方法は人前で間違えること」と書いたのですが、そのテーゼ(?)を悪魔的に証明しているのがこの式でございます。
分母が一種のブレーキの作用として在り、どんなに時間を消費しても、どんなに意欲があっても、効率的に結果が出にくくなってしまう。羞恥心のために、誤りを犯すことを恐れ喋らなくなってしまう(心理学で言う阻止現象)、論理的基盤を失うのを恐れるあまり、母国語の規範にしがみつき、なかなか外国語の規範に移ろうとしない(又は、以前に身に着けた外国語の規範にしがみつく)・・・
ただし、もしも分母が0だった場合に、この呪われた(!)数式の足かせ部分がチャラになるかというと必ずしもそうとは言えないのです。
教育学の見地からすると、最も価値あるのは誤り、それもわれわれ自身によってなされた誤りです。自分の間違いに気づくことが出来たとしたら、その誤りを、笑われたり、驚かれたり、常識を疑われたり、時には同情されたり、自尊心を傷つけられたりしながら指摘されたとしたら、このときに生じるわたしの感情、目には見えないかもしれないもののわたし自身のそれに対する反応が、[記憶の] 定着化のための補助用具の役割を果たすのです。 p.189, 16 われわれが外国語で話すときのメカニズムはどうなっているのか? わたしの外国語学習法、ロンブ・カトー著 米原万里訳 ちくま文庫)
つまり、羞恥心が「定着」という作業の潤滑油だとしたら、まったく羞恥心がなければ上の作用は起こりえないのです。諸刃の剣というべきメカニズム・・・。
ところで、彼女が述べている先の式について、これはなにも私達を脅かそうというのではなくて、語学を習得するには特別な才能が必要だ、とする巷の偏見を覆すもの。
よく、「もう●年も勉強しているのに、ちっとも上達しない」という声を聞きます。(これは何の習い事でも当てはまると思います)
学習環境や、ついている先生にもよるというのは実は微々たる影響でしかありません。その言葉を母国語とする先生に習わなければ上達は見込めないとか、留学しなければ使いこなせるようにはならない、だから「母国から出ずに語学習得というのは寝言のようなものだ」、「行ってしまえば何とかなる」という考え方はたちの悪い宗教のようなもので、恥ずかしながらわたしも長いこと盲目的に唱えていた御題目です。
しかし、0のまま果敢にもやって来て、心身を壊し、目をつぶりたくなるような思い出しか蓄積しないまま自国に戻る人、一体何を学んだのか自分自身さえもわからない、そんないたずらな時間を過ごしてたゆたうように帰国する人・・・そんな人たちをたくさん見てきました(日本人だけに限りません。しかし、そういった日本人の割合は残念ながら多いと言わざるを得ないのです)。
その一方で、わたしの友人たちにも多くいますが、それほど長期の語学研修を受けずに効率よく外国語を複数ものにしていく、という人々が存在します。
学歴や職種は関係ないのです。(これは、私の日本での学歴がいい証明になります) 友人の美容師(日本人)は、驚くべき柔軟さと表現力、語彙力、滑らかな話力でフランス人たちと意思疎通を図ります。
ある時、語学というのは天から降ってくるものではなく、自分がどんどん下に根をはって伸ばしていくものだと気づいたとき、自分というアイデンティティや生活から切り離した別次元で学ぼうとしていては決して「定着」しないということに気がつきました。
それが、「日本で使えるフランス語を教えたい」というコンセプトとして、今のe-corを打ち立てるきっかけになったと言えます。
長々と論じてしまいましたが、最後に、カトー氏の言葉を上達に悩む方々に。
(...)自分の内に真の関心があるものかどうか確かめてみることです。真の関心のおかげで、御承知のように、是が非でも望みをかなえたいという強い意思が生まれるのです。 p.226