そらまめと言えば・・・
「バーバーそらまめ」なんですが・・・私の時代的に。ほよよ、マニアック過ぎ?
(ついて行けない若人は、下を見よう)
e-cor土曜日のアトリエで取り上げている On connaît la chanson (邦題「恋するシャンソン」)、今日は作品内に出てくるシャンソンの中から、エディット・ピアフの「J'm'en fous pas mal」を聴きました。
今更言うことではないですが、ピアフの歌唱力というのはコクトーが形容したように「モンスター」です。
歌を聴いているだけで場面が見えてきてしまう。特に、この「私は気にしない」という作品はストーリーになっているので、女心の推移がよくわかる名曲です。個人的にはLa vie en roseより好き。誰だったかが、「彼女なら電話帳を歌っても観客を感動させることができる」と言っていましたね。
フランス語の授業ではピアフの歌はよく取り上げられるので色々と聴いてはいたのですが、この人の良さがわかるには大人にならなきゃだめなんだな~・・・26の時にはさっぱりわからなかったもの。
フランス語の歌や戯曲というのは韻を踏んで書かれているのもあって、rの発音を普通に喋るときよりもはっきり、巻き舌で発音します。リエゾンももれなくきっちり、語尾のeはシラブルとして数えられるので特にしっかり発音されます。
ピアフはきれいな発音でわかりやすく歌うので、初心者にも聞き取りやすいから教材として優れているんでしょう。
ところで、この「恋するシャンソン」のサントラには歌詞の邦訳が付いているのですが、この「私は気にしない」は冒頭の訳の意味がちょっとわかりにくい。
Je suis née de Passage de la Bonne Graine
J'en ai pris de la graine et pour longtemps
Je travaille comme un chien toute la semaine
Je vous jure que le patron, il est content
...
訳では
「私はボン・グレーヌ小路で生まれた
何時もお手本になった、長い間
一週間せっせと働くから
ご主人も満足している
...」
確かに en prendre de la graine という慣用句があって、「手本にする」という意味になりますが、何のお手本になったのか、いまいちはっきりしません。
graine(種)は掛詞になっていて、
「せっかくBonne Graine(良い種)という通りに生まれたのだから、その名を手本にして(en prendre de la graine)、その名に相応しく生きてきた」という意味になるのだとすると、
「私はボン・グレーヌ通りに生まれたから
その名に恥じない生き方をしてきたし、いつだって
汗水たらして働いてきた
ボスだって満足なはず、本当よ」
***
ピアフもパリの小さな通りで生まれた私生児で、貧乏をし、ミュージック・ホールなどでの下積みを経験しているため、この歌の主人公の女性に重なって見えます。仕事一筋だったのが、浮気なイケメンにぐらりとなり、やっぱり捨てられてしまう・・・けれど、いつも、どんな時も、人がなんと言おうとそれは「Je m'en fous(どうでもいい)」。
仕事をしている時は、休みの日曜日がある。パリの森にオペラ通りに、踊りに・・・宝石なんかなくっても空の星がきれいだから、それでいい。恋をしている時は、彼の黒い瞳と抱きしめてくれる腕があるから、それでいい。彼が去ってしまっても、その思い出が代わりに私を抱きしめてくれるから、心の中で歌が聞こえるから、それでいい。
「都合のいい女」とはわけが違う、心の芯がぴっとしている・・・カッコええー
ピアフは本名ではなく「スズメ」の意味で、最初に歌ったミュージック・ホールで、「la Môme piaf(雀っ娘)」という名前をつけられたのが始まりだそうです。
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「バーバーそらまめ」は、鳥山明 作「Dr.スランプ」の登場人物、空豆タロウ・ピースケ兄弟の父が経営する理髪店です。
その昔は、黄緑あかねのような「ツッパリ」になりたいと思ったものですが、
今は、みどり先生のようにイカレた奥さんを目指したいと思っています。
ペンギン村に住みたい。ナウいです。