ミステリーサークルは人間が作っていたんですね・・・一個ぐらい地球外生命体の作品が混じってないかなー
写真はovniではありません、念のため。
前回から引き続き形容詞。
e-corはフランス語を学びつつ、普段何気なく行っているコミュニケーションというものをもう一度考え直してみようという隠れテーマ(?)のようなものがあります。
コミュニケーションを行う上で、まず一番しっかりと築かなければならない『人』との関係を初級クラスでは繰り返し見直して行くようにしているのですが、その『人』とは誰かと言えば・・・ほかならぬ自分自身なのです。
私は何を感じているのだろう?というシンプルな質問に答えるには、普段からきちんと自分と向き合っていなければ難しい。
自分のスタンスがわかっているから他人とキャッチボールができるわけで、それができなければ、三遊亭楽太郎が言うところの「言葉のドッヂボール」になってしまうし。
一枚の絵を前にして、それをどんな風に感じて形容するか?
それは絵を形容するだけにとどまらず、同時に自分自身を彩るものでもあります。
個々が感じるものはかぶったり、はみでてたり、なんだかカレイドスコープを見ているような気もします。
ところが、「どうですか?」と言われてもどうしてかとっさにその「感じ」が出てこず、真っ白に・・・という経験、ないでしょうか?私が語学学校にいた時に、この「灰になった」現象が起こって、気の利いたことどころか何も言えず石になってしまうということがよくありました。
観察していると、どうもやっぱりアジア地域出身者によく見られます。
その中でもやっぱり日本人にちょくちょく見られたのが、コミュニケーション切断行為。
「わかりません」と切ってしまったり、黙ってしまったり・・・
これは、とっさに注目を浴びたことで緊張し、文字通りフリーズしてしまったり、間違ったり一般的でないことを言ってしまい、馬鹿にされたりプライドを傷つけられるかもしれないという恐怖から閉ざしてしまったりという自己防衛反応が強いのではないかなと思います。
どうしたら「自分がどう感じているのか」を相手を傷つけることなく自由に発言できるようになれるのだろう・・・?
この能力はなにも特別な才能が必要なわけではなくて、普段から訓練していれば自然とできるようになってきます。(確かに返答や間の上手下手に個人差がありますが)
大切なのは、上手く答えることでもないし、モラルを死守することとか一般的であることでもありません。ただ、自分の中に湧き上がった感情に対して素直であること。
それができたら、その次に「なぜ、自分はこんな風に感じるのかな?」と問うことができます。これが、自分とのコミュニケーションのひとつではないかと形容詞を学びながら考えていました。
もちろん、自分とアクセスする方法はたくさんあるし、あえて喋らないことで自分とつながる瞑想のようなやり方も必要だと思います。
重要なのは、「今、自分がどう感じているのか?」が自分でわかること。
それさえつかめてしまえば、それをほかの人がどう捉えようとそこまで責任を持つことはありません。いくら人が馬鹿だと思おうと、自分はそう感じているというのがわかればそれでいいんだよなー、と最近よく思います。
フランス語を勉強していると、この言葉はなんて繊細でいてパワーがあるんだろうと感じます。
常に、心に対して敏感で忠実で綿密であろうとする言葉なのです。