Licence最終学年になる今年、FLE(Français Langue Etrangère)コースを選択した。
一週間に6時間。
要はフランス語を外国(つまりフランス語圏以外の国)で教える為のノウハウを得るクラス。
2学期には古巣であるL'IRFFLEに戻る。 といっても、外国人学生としての立場でなく、「先生の卵」として。
「教える」ということは何なのか、というところから初めの授業が始まった。
言語を学ぶということは、言葉の成り立ちや文法だけを学ぶだけでは絶対に成り立たない。 そこには人の生活、その国の文化、感情、つまりは「人」がいる。 それもひっくるめて言語の習得が可能になる。 母国語以外の言語を学ぶということは、その人の人生や人間性を根底からひとつひとつ検査して、必要ならば壊して再構築するという、建築設計士のような作業であって、決して既存のイメージのようなきらびやかなものではないと思う。
忍耐・そして忍耐・はたまた忍耐。 体力・知力はもちろんのこと、「恥をかく」という行為のみを繰り返すため、心臓に多少毛を生やす必要もある。 いまや外国語のひとつやふたつ、と言われているけれど、外国語を勉強するということは本当はそんなに「駅前」的にできるものではないと思う。 だからといって、限られたインテリや秀才にしかできない代物ではないです。それは、私が身を持って保障します。
もっと「人間」を考えて、暮らしや視点、こころを見つめることが、外国語学習には必要なんだと、すごく思います。 それが、学ぶ人にとって「ああ、生きててよかったな」と、最終的に思えることがなによりも大切なんじゃないかと、すごく思います。
「指導する立場にあるひとは、知識と学習者の間を取り持つ『仲介者』であり、教えながら自らも学ぶというスタンスを取る」