寂しいかどうかということ。 自分がさびしいかどうか、さびしがってはいないか、 ということにほんのちょっと敏感でいる。 そうすれば、本当にさびしいときに、気づいてあげられるから。
自分がさびしいと叫んでいると気づかずにいると、面倒な出来事がたくさん起こってくる。だけど、根本の原因がさびしさだとわかっていないから、 とんちんかんなケアをしようとしたり、現実を直視できなくなって、ますます深みにはまってしまう。
なにより、さびしい人はさびしい人を呼んでしまう。 けれど、さびしい人が何人いても、温かくはならない。
自分がさびしがっていたのだとわかるのは、いいことだ。 やっと、暖を求めて動くことができるようになるのだから。
自分がさびしいと知っている人は優しい。 温かく厳しい、そしてやさしい。 私は今、さびしいだろうか?