グロテスク趣味

2日前から比較文学「中国におけるカフカ」の小論文にかかっている。

カフカの「変身」「審判」「父への手紙」と 残雪(Can Xue ツァンシュエ)の「Dialogue en paradis(天国での対話・邦訳されているらしいです)」 の比較なんですが、小論文のテーマは残雪の作品の翻訳者が述べていた作者の描く「家族」について。

これが、またえらいややこしくて(この人の残雪作品の訳文もややこしい)、参りました。

フランスの大学で出題される小論文というのは、一般的日本的教育を受けてきた私にとっては、その構造を理解しようとするだけで魂が抜けそうになるのですが、与えられる問題というのがまた2ねじり半くらいのヒネクレっぷりなことが多いのです。

そんな風に、「ちょっと頭をねじらないとわからない」という盲点を突く文章を理解し、 「ちょっと頭をねじって書かないと丸め込めない」という文章を要求され、 なのに、フォーマットはあほみたいに融通が利かない。(※万が一、この「あほみたいなルール」を知りたいという好奇心の旺盛な方はずずぃっと下の方まで。

この、囲いの中で「自由に羽ばたけ!」と言われているかのような文章修行をここ1年半ほどやってきて、やっと自分の考えがなんとなくフラ文のトリカゴの中で落ち着いて、むやみに暴走して駕篭をぶち破ったり、はみでたりすることが少なくなってきて、ちょっと、つまんなかったり。 どうせなら、わたしの小論文も作者たちに敬意を表して思いっきりグロテスクなものにしたいところです。もう、読んでいるだけで「うえぇ」となって、先生も採点どころじゃなくなるような。それで減点されちゃったりして・・・。

グロテスクって確かに黒い笑いを含みますが、その配分によっては笑えなかったりします。その辺、カフカはやっぱり天才的。

今回の出題文の中に、ジェローム・ボッシュという15世紀の画家が出てくるのですが、それはもうおどろおどろしい絵(クリックすると、代表作「最後の審判」が開きます。うえぇ・・・となりたい方はどうぞ。)をお描きになっていたようで、 そのグロい絵を眺めては難解な出題文を何とか解きほぐそうとしていたら、だんだん私の夢までなぞの生き物が出てくるようになって来ました。 このまま行ったら残雪のような小説が書けるかもしれないです。

残雪のカフカ論の邦訳が出たそうなので、そのうち読んでみたい。 同時に、やはり現代中国人作家の余華(ユーファ)という人の「世事は煙の如し」という作品の抜粋についての分析も提出しなくちゃならないんで準備をしているのですが、これまたグロテスクつながりで、ちょっと不思議な連続死の話。水が「死」を象徴するエレメントとしていろんな場面で出てくるのですが、色々考えていたら、変な津波の夢を見てしまった・・・。 わたしはすぐ影響を受けるバカが付く素直さんですが、夢にもすぐ影響がでるのが笑えます。

 

※石頭な小論文のルール

大抵、出題される問題は、テーマになっている作品に関する誰かの批評の抜粋になります。要は、ヒネクレ文には必ず一発では理解できないような内容が組み込まれているので、その曖昧さを指摘して、自分なりの解釈を使って読み手を丸め込む、口八丁の訓練です。

一、イントロでは必ず出題文を「丸ごと一字も変えずに」書き入れるべし。

一、展開は必ず3つの章に分け、イントロ部分でその3章の展開内容を予め述べるべし。

一、第一章では争点についての論証①を展開するべし。

一、第二章では、争点についての論証①に反駁でき得る論証②を展開するべし。

一、第三章では、争点についての論証①と②とは別の観点での出題文に関するアプローチを試みるべし。

一、全ての論証には的確な例を挙げるべし。

一、結論では、3つの展開を5,6行の文章で要約すべし。また、ここで新たな例を挙げるべからず。

一、結論では、主題になっている作品・作者に関連する参考作品(同作者・または別の作者・同分野・または他分野)を挙げるべし。

以上。

このルールから一歩でもはみ出すと、たちまち減点を喰らいます。 こういうことを小さいときから訓練されているフランス人に、万一、口で勝てたとしたら、相当有能な弁護士にでもなれる素質があるとかもしれない。

ちなみに、フランス人の自称「恥ずかしがりや」=「思っていることをはっきり表現できない口下手」とはならない。