オンナマエ。

落語DVD字幕付けが大詰めに入ってきた。

0コンマ単位で調整して、どのタイミングでフラ語を入れたら、 日本語で聞いたときの笑いのタイミングとずれないかを測る。

勢い、同じ箇所を何度も何度も見ることになる。 何度見ても、オチがわかっているのに、やっぱり笑っちゃう。 字幕が必要な人にとって、噺家の音声は残念ながらほとんど直接的な意味を持たない。 状況的には聾唖者と同じ状況だと気づいて、 音声を全く消して字幕を追う。 それでも、噺家のほかほかパワーは突き破ってこちらを包み込む。 それを感じて欲しいから、できるだけ少ない言葉で的確に翻訳する。 字幕を追う合間に、ひとつでも多くの表情を見てもらい、 ひとつでも多くの音を感じてもらいたいから。

一緒に笑いたいから。

翻訳をやっているときのわたしは怖いものなしだ。 それは、「笑い」に助けられ、脳みそが麻痺させられるからなのかもしれない。 ちょっとしたトリップ。 これが、最初のステップだ。こっから、うちらはパリに行くんだ。

このごろのモットー: 「女にはやらねばならぬ時がある」