Passion ! Cuisine française

esquisse始動。

NHK文化センターで月2回の文化講座「Passion! France (パッション!フランス)」も、折り返し地点を迎えました。 この講座は私にとっても初めての試みで、私自身本当にたくさんのことを学ぶことができています。 手際が悪くて皆さんに迷惑かけまくっていますが・・・

この講座の〆はやっぱり、フランス料理。

e-corの特別講座でも、みんなで味わった「メルバソース」の生みの親、オーギュスト・エスコフィエをフィーチャーした講座で、軽いコース料理を楽しむ企画です。

今回は「ホテルオークラ新潟さんの協力を得て」(鍵括弧に微妙な含み)、 エスコフィエの考案したメニューの中で、旬の素材を使ったものと、日本からインスピレーションを得た料理の組み合わせでコースを再現します。ほぼ、メニューは決定。

オードブル、スープ、魚料理、肉料理、サラダ、デザート、コーヒー。ひゃ~盛りだくさんです。

試食したいな~と言ったら、予算の都合上あっさり却下されました。ちっ。

自分が作るわけではないので、テーマとしてはもう無責任に色々とアイデアがでます。

受講者の皆さんは、お友達1名様まで参加可能です。どうぞお楽しみに~!

始まりました。アトリエ・アモール

chilolu by e-cor非売品・・・。
e-cor オリジナル・チロルチョコレート。 アモール珈琲関係のみんなでDECOチョコをやってみました。このe-cor版チロルは私のデザインですが、絵は前にも紹介したレイモン・サヴィニャックのもの。よーく見るとなんとなくホラーなチロルになりました。

チロルのDECOチョコサイトから画像を登録すれば誰でも作ることができます。オーソドックスなチロルよりちょい高めですが楽しい。

て本日、めでたくアトリエ・アモール開講。

いんや~太陽がぽかぽか気持ちよいお座敷での授業でした。 初級クラスはこちらで3つ目になりますが、また違った味(?)が出そうな予感。新しい出会いに感謝いたします。

本日はレストランのメニューを頼んだりパン屋さんの注文をしながら定冠詞・不定冠詞をマスターする授業。この授業は他のアトリエでもだんだんレベルを高くしながら何度かやっていくつもりです。

かなり実用的かつおなかが減る。土曜日の皆さんもお楽しみに。

e-corフランス語コミュニケーション教室のアトリエ・アモールでは、引き続き参加してくださる方を募集中です。 定員は4名。 詳しくはコチラ

そして、明日はいよいよNHK文化センターのフランス文化講座、Passion!France(パッション!フランス)がスタートします。 こちらはe-corとしては初の試みとなりますが、語学に負けず面白い趣向盛りだくさん。 第1回目は、オーソドックスなフランスの姿をご紹介。

・・・だけで、終わるわけはなく、やりますよ。もちろん。衝撃的な真実をね・・・

土曜のアトリエ: 活用を活用する

un petit morceau vol.1Un petit morceau* de FRANCE vol.1
「フランスをつまむ会(仮称)」こと「Un petit morceau de France」がいよいよ来週となりました。わたくしとシェフとは一時かなり険悪になりつつも(笑)、なんとか皆様においしいひととき(moment délicieux)を過ごして頂こうと奔走しております。 どうぞお楽しみに。

このインヴィテーション・カードに使ったのはフランス人のポスターデザイナーの大御所、Raymond SAVIGNAC(レイモン・サヴィニャック)。

一昔前の広告といえば、この人の作品は欠かすことのできないものでした。日本でも有名で、としまえんの七つのプールの広告は子供のときに見た記憶がぼんやりと残っています。一見キッチュな感じなのですが、よく見るとかなりブラックなメッセージが入っているのが特徴。

配色といい、デッサンといい、それ以上行くと本気で怖いとかグロいというその臨界点を絶妙に突いてくるところが、結構好き。怖いもの見たさのようなぞくぞくした感じが楽しくて、いつまで見ていても飽きないのです。

saviyoplait

次回、形容詞をやる時にはこの人の絵を使ってみるのも楽しいかも。

私はこの人の青にどうしても惹かれるのですが、なんなのかな~と考えていたら、おそらく生まれて初めて記憶に刷り込まれた絵本の青空がちょうどこんな色だったからみたいです。片手に乗る位小さな本で、確かくまさんが気球にのって一人で旅をする話だったような・・・そういう、記憶をくすぐる色っていうのも面白いですね。

さて、本日のクラスは動詞の第2ベースを覚えました。

ラテン語を親に持つ言葉の学習者の多くは活用の暗記で挫折を感じるようです。 ちまたの声(?)を聞いても、「活用を覚えるんだけれど実際使いこなせない」とぼやく方が多いこと・・・。

それは多分、「活用のリスト」が頭の中に入っているからではないかなと思います。

確かに、辞書の巻末にある活用形の一覧は忘れた時、初めて目にする活用を覚えるときには楽ですが、あの膨大なリストが実際私の頭の中に入っているか?というと・・・

入っていません。

ま、入っているとしても一部で、しかもあのリストの形になって記憶されてはいません。

では実際どんな風にして入っているのかというと、それぞれの動詞の活用が代名詞とリンクして「パターン」として記憶されています。そして、私の中にある概念と日本語を通さず直接結びついています。だから、フランス語で単語が出て来ても、必ずしもそれを的確な日本語で説明することができるわけではないという状態です。 (きちんとした通訳をする方なんかはこういうことがなく、一つ一つの概念に日本語・仏語それぞれがきちんとリンクできています。)

もうちょっとわかりやすく説明できればいいのですが・・・

例えば、フランス語を始めた頃は

「彼はテレビを見ている」と言いたいとき、

「彼」=「イル」→「見る」は「るガるデ」(必ずしもil、regarderというアルファベットが出てくるわけではない)→イル るガるデ>>>>>>>(regarderの活用表を思い出しています・・・)>>>ジュ ルガルドゥ...テュ ルガルドゥ...イル ルガルドゥ...!(これだ!)→えーと何を見るんだったっけ?あ、「テレビ」...は「テレ」・・・主語はなんだったっけ?あ、「イル・ルガルドゥ・テレ!」

と、最速でもこれだけ遠回りをしなければなりません。(しかも、日本語にはない冠詞を付ける習慣を上のようにすっとばしてしまったり、主語の後に原形をそのまま活用せずに行ってしまうことは初級学習者によく起こります。)

これが、慣れてくると、

(「彼はテレビを見ている」と伝えようという意思を持つ。これはまだ言葉を持たない思考のみ)=「Il regarde la télé.」

この=は一瞬のことで、思考と同時に発生しています。

これは、繰り返し使う・読む・聞く・書くという体験をそれぞれ重ねた結果だんだん思考ルートが最短距離になってくるもので、確かに一朝一夕に到達できるものではないかもしれません。けれど、ある程度訓練したら早めに活用表から自立をしたほうがいいのではないかと思います。

そして、実際に怖がらず使ってみること(独り言で文章を口にしてみること)で体験をし、間違えたら正しいものを記憶しなおすという作業を丁寧にやっていくことで、少しずつ身体にしみこませるのが、身体にも精神にもひどく無理をさせずに済むのではないかなーと考えます。

自分自身気づいていなかったのですが、外国語というのは言わば異物のようなものですから、それを一気に取り込もうとするときには抵抗が起こって当たり前なのです。 (知恵熱が出る場合もあります。)けれど、それを力でねじ伏せる(ここでいう活用表の丸暗記のみの学習)のではなく、ひとつずつ覚えたり使ったりでも忘れたりを繰り返して行くことで最終的に自分の一部となっていくのです。

まーでも、楽しいほうがいいですからね・・・次回4月のクラスではもうちょっと楽しみを増やして行く予定です。

ところで、クラスの名称を「アトリエ」と変えています。 アトリエとは特に芸術の分野に使われるだけでなく、共同で作業を行う場という意味で語学学校の授業でもよく使われる名称です。 まあ、人間のあらゆる活動に常に「アート」を見る国民ですしね、フランス。

----------------------------------- *Manger (prendre) un morceau : 「ちょっとなんかつまむ(食べる)」小腹が空いた時、または「うち寄ってかない?なんか有り合わせで作るからさ」という時に On mange un morceau ? と使ったりします。これは、以前にTVドラマを見ていて覚えた言い回し。

土曜のアトリエ 動詞の匂い

今、わたしこんな感じです。 うーん、だいぶ腫れは引いたのですが、感覚としてなんかこうふぐっぽいというか・・・ 水曜日に最後の難関である左下の親知らずを抜いたのですが、このひとがまたねじくれて生えていたため少々手こずり、結果ふぐなわけです。 帰国後からずっとお世話になっているH先生は本当にとっても信頼できて、まさにゴッドハンドを持っておられるのですが、それにしても親知らずってすごいエネルギー持ってるんですね。

さて、そんなおかめな私を許して頂きつつ土曜日のアトリエ。

今週から文章読解に入ります。

「え?!もういきなりこんなのを読むの?」となるかもしれませんが、正しくフランス語が使えるようになるには正しい例をたくさん知って、それを真似するのが一番手っ取り早い方法、それにはモデルとなる文章、会話にどんどん慣れていくに限ります。

題材はPhilippe Delerm(フィリップ・ドレルム)。 この人の息子、Vincent Delermといえば今のフランスのポップス界において、ひとつの顔となりましたねー。相変わらずオカマっぽい歌いっぷりですが。 この親にしてこの子あり。(オカマっぽいというわけではなく、才能のことです)

今回授業で取り上げた作品は、この作家の名を一躍有名にしたLa Première gorgée de bière et autres plaisirs miniscules (ビールの最初の一口とその他の小さな愉しみ)の中から一遍。今日は『動詞の匂いを嗅ぎ分ける』?!訓練をしました。

文章を読むとなると、その膨大な活字の海に圧倒されてしまうことは大いにあることです。そこで、もし羅針盤を手放してしまったら最後です。 その羅針盤となるのが文法。

どうも文法を「文法の勉強」というカテゴリーの引き出しに閉じ込めて鍵をかけてしまうアプローチが多すぎると普段から思っていました。 私自身、文法を毛嫌いし、馬鹿にしてさえもいました。 文法というのは文法を勉強するためにあるのではなく、書いたり話したり理解したりコミュニケーションをとるため、周りにいる人に意思疎通の際に余計な負担をかけないための気遣いだということをまるきりわかっていなかったんですね・・・。 今、世間で盛んに言われている「応用力」というのは「気遣いの力」とも言えるかもしれません。応用とは、得た知識を「こうも使えるかな?」「これはだめかな?」と試してみる、考えてみることで、よりスムーズなやり取りができるように改良していくことなんでしょう。

例えば、今日の動詞を探す訓練は、実際に今までただの知識の破片だったものを『現場』で応用する実験です。

ここで一番必要なのは「素直さ」!

例えば原形についてなら、ただただ素直に「語尾が-ER,IR...etc.のもの」を探して挙げていくだけ。 確かに、erが付く名詞や形容詞などが幾つか存在しますがそれは本当の例外です。だから、とりあえず疑わずにリストアップしてみて、その中で果たしてこれは当てはまるかどうか?というのを自分の知識を駆使して検証していけばいいのです。

文章を読むというのは、目が捕らえた文字の羅列の組み合わせを、脳がものすごいスピードで処理していくことで成り立っています。今までに見たことがあるという組み合わせのパターンを猛烈な速さで照合して行き、最終的に一番ルールにのっとったものを「結論」として出してきます。

たくさんの文章に触れたり、たくさんの音を聞いたりするのがなぜいいのかというと、脳の中にあるパターンのストックを作るためです。文章をたくさん読んでいれば自然な形で同じパターンに数多く出会うことができ、脳は知らないうちにそれを整理し、累計を取ってカテゴリーごとに保存してくれます。

ストックしてあるデータが薄ければ、知識はあいまいとなり、パターンを探すときにもなかなかヒットしなかったり、似たようなものと摩り替わってしまったりします。ですから、モデルとなるものにきちんと触れ、向き合うことでパターンのストックにつながり、間違いも減っていくということになるのです。

できなかったことにあせりや不快感、自己嫌悪などをどうしても感じてしまいがちですが、考え方を変えてみればむしろどこができていないのかがはっきりしたことで、そこに照準を定めることができるいいチャンスとも受け取れます。 活用を忘れているのであれば思い出せばいいし、根本的なルールや使い方の仕組みがわかっていないのであればもう一度習ったことをおさらいしたり、誰かに聞いてみる・・・具体的に足りないと感じたところを補えばいいのです。

Philippe Delermのcitationをひとつ。

« Ce n’est pas ce que l’on dit qui compte, mais ce qu’on entend »

自分が何を言ったかということなどより、何を聞いたのかということこそが重要なのだ。

毎度、ここの進め方が悪かったなーとか、うっかり間違えて恥ずかしいなーとか、ついつい「自分が言ったこと」にばかり視点が行ってしまいがちな私なのですが、毎度授業で「聞いたこと」は私にとってまさに宝物と言えます。それぞれの生徒さんには独自の才能やセンスがあって、見ていると本当に感心してしまいます。大胆だったり、緻密だったり、勘が良かったり、積極的だったり、素直だったり、選択上手だったり・・・

そんな様子にもっと耳をすませる様でありたいな~と思っています。

形容詞で深まる私 土曜のアトリエ

ミステリーサークルは人間が作っていたんですね・・・一個ぐらい地球外生命体の作品が混じってないかなー

写真はovniではありません、念のため。

前回から引き続き形容詞。

e-corはフランス語を学びつつ、普段何気なく行っているコミュニケーションというものをもう一度考え直してみようという隠れテーマ(?)のようなものがあります。

コミュニケーションを行う上で、まず一番しっかりと築かなければならない『人』との関係を初級クラスでは繰り返し見直して行くようにしているのですが、その『人』とは誰かと言えば・・・ほかならぬ自分自身なのです。

私は何を感じているのだろう?というシンプルな質問に答えるには、普段からきちんと自分と向き合っていなければ難しい。

自分のスタンスがわかっているから他人とキャッチボールができるわけで、それができなければ、三遊亭楽太郎が言うところの「言葉のドッヂボール」になってしまうし。

一枚の絵を前にして、それをどんな風に感じて形容するか? それは絵を形容するだけにとどまらず、同時に自分自身を彩るものでもあります。 個々が感じるものはかぶったり、はみでてたり、なんだかカレイドスコープを見ているような気もします。

ところが、「どうですか?」と言われてもどうしてかとっさにその「感じ」が出てこず、真っ白に・・・という経験、ないでしょうか?私が語学学校にいた時に、この「灰になった」現象が起こって、気の利いたことどころか何も言えず石になってしまうということがよくありました。

観察していると、どうもやっぱりアジア地域出身者によく見られます。 その中でもやっぱり日本人にちょくちょく見られたのが、コミュニケーション切断行為。 「わかりません」と切ってしまったり、黙ってしまったり・・・

これは、とっさに注目を浴びたことで緊張し、文字通りフリーズしてしまったり、間違ったり一般的でないことを言ってしまい、馬鹿にされたりプライドを傷つけられるかもしれないという恐怖から閉ざしてしまったりという自己防衛反応が強いのではないかなと思います。

どうしたら「自分がどう感じているのか」を相手を傷つけることなく自由に発言できるようになれるのだろう・・・?

この能力はなにも特別な才能が必要なわけではなくて、普段から訓練していれば自然とできるようになってきます。(確かに返答や間の上手下手に個人差がありますが) 大切なのは、上手く答えることでもないし、モラルを死守することとか一般的であることでもありません。ただ、自分の中に湧き上がった感情に対して素直であること。

それができたら、その次に「なぜ、自分はこんな風に感じるのかな?」と問うことができます。これが、自分とのコミュニケーションのひとつではないかと形容詞を学びながら考えていました。

もちろん、自分とアクセスする方法はたくさんあるし、あえて喋らないことで自分とつながる瞑想のようなやり方も必要だと思います。

重要なのは、「今、自分がどう感じているのか?」が自分でわかること。 それさえつかめてしまえば、それをほかの人がどう捉えようとそこまで責任を持つことはありません。いくら人が馬鹿だと思おうと、自分はそう感じているというのがわかればそれでいいんだよなー、と最近よく思います。

フランス語を勉強していると、この言葉はなんて繊細でいてパワーがあるんだろうと感じます。

常に、心に対して敏感で忠実で綿密であろうとする言葉なのです。

e-cor フランス語コミュニケーション教室 第7回 動詞(1)

Post nubila Phoebus.(ポスト ヌビラ ポエブス) 「雲の後ろに太陽(神アポロ)が輝く」

苦しみは永遠に続くことはない。 我を忘れて精進していると、お天道様が照らしていることにふと気がついたりするものです。

と、言う様な天気でしたねーこの日。 さ、本日はいよいよ動詞にアタックして参ります。

現在形のコンジュゲゾン(活用)の第1ベースを習いました。初めて本格的な活用に触れて、最初はみなさんちょっと尻込み・・・だったでしょうか?

もう一度簡単にまとめてみると、

動詞の原形はいくつかのパターンがあって、第1ベースは同じような活用をするグループでした。その特徴は、 語尾が [:next:]-ER(動詞の90%がこの形です): ex. parler, écouter [:next:]-IR(type A) : ex. offrir ----------------------------------------------------------- [:next:]-IR(type B):ex. courir [:next:]-RE : ex. conclure, rire

-----の上下の違いは単数形 (je/tu/il又はon)の語尾が 上は e / es / e タイプ 下は s / s / t タイプ

複数形 (ils/nous/vous)は、この第1ベースに含まれる動詞全て共通で、

ent / ont / ez

になります。

コツは、ERの動詞を一個代表として覚えてしまうこと。これで、どんな動詞が来ても語幹(-ERより前の部分)を切り離して活用を当てはめていけばいいからです。 あとの4つのパターンは、このタイプにあたる動詞が極端に少ないですから、活用だけを覚えるより動詞を丸ごと覚えてしまったほうが簡単です。

さて、いきなりこのいくつかのパターンが並んで、軽くパニックが起こったところで、とてもナイスな分析が挙がりました。

「書き方は違いますが、(Je, Tu, Il, Ils)の四つは発音が全く一緒に聞こえるんですが・・・」

そうなんです。この一声、たぶん皆さんの中にしっかり刷り込まれたと思います。

私が勉強を始めたころの参考書は、みんな J'aime       Tu aimes     Il aime Nous aimons Vous aimez Ils aiment という順番で律儀に覚えさせられたのですが、Ilsの活用がいつもあいまいになったものでした。

今、e-corでは複数の参考書を使っているのですが、最近のものは、イレギュラーな活用の動詞以外はほとんどが

J'aime  ジェム Tu aimes  トゥエム Il aime  イレェム Ils aiment  イルゼェム Nous aimons  ヌ ゼモン Vous aimez  ヴゼメ

という順序で書かれています。この順番によって、上の生徒さんの分析が可能になってくるのですね。

さらに、e-corでは動詞の分類を古臭い第一グループ、第二グループ・・・という形にはしません。覚えるのにこのグループ分けはあまり役に立たないからです。

参考書は主にフランスのものを使っています。日本の教科書でいいものにめぐり合っていないもので・・・しかも、日本のスタンダードな教え方がかなりフランスでのものとずれていて、留学をしたりするとその修正にてこずるという余計な苦労をしなくてはならなかったりします。ただ、母国語の視点からの効果的な習得方法というのもあるはずなので、これからそっち方面も色々と探ってみたいと考えています。

大学でFLE(フランス語教授法)の授業を担当するのは現場経験者の先生達で、半分以上が現役で外国人にフランス語を教えていらっしゃる方々でした。彼らの話を聞くと、初心者への指導で心を砕くのが、生徒による活用の暗記をどれだけ軽減させるか、といったこと。

特に、アジア系の学生は一般的に生真面目(なかには糞真面目)なため、ベシュレル(動詞活用を羅列した有名な学習参考書)を頭から飲み込もうとする無謀な努力をして、目の下にクマを作る例が多いそうです。

その努力が心底楽しいという変態少々変わった方なら放っておくところですが、その苦しみも、大抵は実践の役には立ちません。現実はランダムにさまざまなボールを投げてくるのですから、ベシュレルの1ページ目から順番に出てくるわけではなく、相当な訓練をしなければとっさの場面で「!この単語はベシュレル第47番目のパターン、活用は単純未来三人称単数・・・」なんて頭の中でできるわけがないのです。

そうなると、肝心の場面ででくのぼうだった自分に嫌気がさし、「フランス語なんて大変なだけでちっともおもしろくない・・・あーあ、やめちゃおうかな・・・」という展開になってきてしまうのです。そんな風に挫折してしまうのって、つまんないし残念。

私自身はというと・・・以前から書いておりますが、文法学習をとにかく馬鹿にしていました。お恥ずかしい。多くの日本人に対する「文法の成績はいいが、発言をしない、何を聞いても自分の意見がない。」というレッテルに反発して、「文法なんて使ってるうちにわかるようになってくる、それより会話の流れに乗って、どれだけ教室でウケるかだ!」というわけのわからないルールにしたがって、フランス人もびっくりのごまかし方でその場その場を乗り切ってきました。ペテン師に近い技とも言えます。

多くの人たちは、「おお、こいつは日本人にしては珍しいタイプだ!」と私の「姿勢」に対して評価をしてくれましたが、実際の成績は芳しくないものばかり。本を読む時の辞書の引き方について、大それたことに先生に向かって意見したこともありましたっけね・・・若気の至りとしか言いようがありません。 当然、動詞の活用もなかなか覚えないまま。

今でも暗記は苦手なので、どうしたらより少ない努力で覚えてしまえるのかというのに日々研究を怠りません(笑)。そんな中、「ねむりと記憶」という記事にぶつかったのですが・・・→(Click!)

現在は眠らない人・代表で「さんまシステム」の更新が楽しみなほぼ日睡眠論。しかし、この「ねむりと記憶」は、暗記についてかなり参考になるものだと思います。

むやみに活用暗記に苦しむより、寝ろ!

の心意気で、寝る前にちらっと活用表を見て、おまじないのように唱えて電気を消す。

昨日ラテン語の名詞活用を思いっきり忘れていてかなりガーン!!(←古いなぁ)だったので、ちょっとラテン語のデクリネゾンで実験してみようかな。これについては、追記をしていこうと思います。

e-cor フランス語コミュニケーション教室 第6回

自分から離れると、ぶれる。

昨日は、親知らずの内部が炎症を起こしている為、抜歯ができずに終わり、 更に風邪気味でくしゃみとまらず・・・ プリンターが壊れて印刷はできず・・・

本日の授業は非常にリズムが悪くて申し訳ありませんでした。 かなりの時間オーバー、YKOさん、間に合ったかな?!ごめんなさい。

本日のe-corフランス語コミュニケーション教室は、前回に続き冠詞。

冠詞というのはフランス語をフランス語たらしめるものなので、ややこしいのです。 (フランスたらしめるものは、だいたいややこしいです。)

前回の定冠詞、今回の不定冠詞。

使っていくうちに肌に馴染んでくるので、それまでは少々我慢です。

今回はまだ触れていませんが、あと一つ、部分冠詞というのをマスターしてしまうと大分フランス語の「視点」というものが見えてくるのではないでしょうか。

外国語を学ぶ、というと、文法や発音といった決まりごとを習っている、というのが一般的な意識だと思います。けれど、文法的なルールや発音方法を学びながら、その国の持っている「視点」、物事の「捉え方」というのを感じることで、世の中は幾通りもの考え方が同時に動いていて、決して「絶対」というものがないのだな、ということを知ることができるような気がします。

「常識」「価値観」というのは一定ではない、それを受け入れることで自分がひとつ大きくなるという経験、これが語学の一つの醍醐味かもしれません。

同時に、不思議な大きな「うねり」のようなものがわたしたちを見守っていて、ゆっくりと宇宙を揺らし、その中で人は「ひとつ」のメッセージを感じている、

だからこそ、「大地、地球」に女性(母性)を感じるという一致が、言語の違いを超えて現れるのだと思います。

母なる大地をフランス語では La Terre (ラ テール、女性名詞)

e-cor フランス語コミュニケーション教室 2008 (第5回)

紋切り型 中陰変り抱き茗荷。

比叡山延暦寺に祀られている摩陀羅神は、釈迦のひとことで悟りを開き、その墓にはミョウガが生えたといいます。この故事から茗荷は悟りのシンボルとなりました。 ~紋切り型 解説より

「神仏の加護がある」という意味の「冥加がいい」という言葉にも通じるので縁起がいいそうです。

こちらのミョウガさんが、現在我が家の玄関で「コノモンドコロガメニハイラヌカ!!」とカブいています。

悟りが開けるといいですなぁ。

e-corというのは造語で、その意味はウンウンチクチクこちらに説明しているのですが、ロゴの紋についても、よく聞かれますので、ちらりと書きますと・・・

これは「持ち合い麻の葉」という紋なのですが、教室の目指すところを表しています。 それぞれの葉が隣りの紋にとってかけがえのないもの。 一つ一つが主役であり脇役であり、共に繋がり拡がって行くところが美しいバランスで描かれ、ちょっと感動モノなのです。

(紋を前にうるうるしている人もあまり見かけませんが。)

麻というのは伸びるのが早いことから、昔は新生児が生まれると、お祝いに寝巻きの柄に使ったりしたそうです。

e-corは生徒さんのフランス語の上達を願うと共に、生徒さん自身がそれぞれの生活を通じて様々な人と繋がり拡がって行けますように

そんな祈りが込められているのですよ、実は!

(あと、私の名前に掛けてあったりもします。)

それはさておき。

日2008年初めての教室は、定冠詞について。

名詞の性(genre)というのは、日本人のフランス語学習者にとって「なんてめんどくさいんだ!」と思える特色なのですが、その歴史をたどると遥かサンスクリット語まで遡ることになる、年季の入ったものなのです。もう、しゃーない、とあきらめて単語とセットで覚えるしかありません。

でも、今日の授業のような楽しみ方で覚えると、あまり苦痛なく記憶できるのではないかなと思います。

こつは、まず自分なりの感覚で、「これは女子?」「それとも男子?」(Yさんの表現を借りました。笑。)

と、予測を立ててみます。皆さんは大人ですから、すでに日本語ではその言葉の概念を知っているはずです。その言葉に対して持つイメージが果たして「男」っぽいのか、「女」っぽいのか?をインスピレーションだけで考えてみるのです。

「lettre(手紙)」は、男っぽい?それとも女っぽい?

手紙で想いを伝えるのは、やっぱり女々しい感じがする? でも音の響きはわりとカクカクしていて、案外男かも?

そして、実際辞書で調べた時、自分の感覚がフランス語とマッチしていればそのままスムーズに覚えられるし、もし違っていたら、「えー!これ男だと思ったけど、女なの?」という衝撃で、記憶に残りやすいのです。

言葉も人間が創ったものですから、人間の持つ感覚が組み込まれています。 機械的に覚えるより、たとえ遠回りなように思えても、自分の感覚と向き合わせてみることでインプットができるような気がします。

本日のカーラさんの歌はこちら(コピペしてください↓)

http://platea.pntic.mec.es/~cvera/hotpot/bruni5c.htm

ただし、サイト上では今日皆さんに渡した問題とは別の穴埋めになっています。あしからず。

歌を聞いてもわかるように、実際の会話では、le la les はほとんど聞こえるか聞こえないかぐらいで発音されますので、口語ではあまり神経質になることもありません。ただ、書くときにはかなり気を使います。テストなんかではかなり痛いミスにもなるのです。

フランス人は、たかだか冠詞を間違えたくらいでなんだってあんなに大騒ぎするのだろう、と思っていましたが、フランス語を長年やるようになってくると、名詞の性に一致しない冠詞をつけていたり、主語の代名詞に合わない動詞の活用を見聞きしたりすると、かなり衝撃的です。取り乱してしまいます。自分でもなんなんだかわからないまま、すごく消耗してしまいます。

たまに、自分自身でやってしまって、自らダメージを受けるという馬鹿らしいこともあります。

そんなわけで、一通り楽しみましたら、どうか正しい冠詞を覚えて下さいますよう。 いたずらにヒットポイントを減らさないよう、わたしも気をつけよう。

e-cor フランス語コミュニケーション教室 第4回

今年最後の授業です。 今日は最後ですが、いよいよフランス語の入り口を通過して、本格的に「学習」に入っていく最初の日とも言えます。

フランス語には欠かせない、代名詞と、記念すべき第1個目の動詞の活用を覚えました。 来年までに、おまじないのように唱えて覚えてしまうのがいいかもしれません。

いつか授業中にお話しましたが、単語を覚えるというのは難しいことではなくて、イメージと抱き合わせになっている音(その言語の持つ音)を別の音の組み合わせに交換してあげるという非常に単純な作業です。

「犬」というイメージについている「いぬ」という音の組み合わせを、「シィャン(chien)」という音に変えてしまうだけ。

さらに、「シィャン」という音に「chien」というアルファベットのグループを抱き合わせなければなりません。これは、日本人が言葉を話すときに無意識に漢字を頭の中で思い浮かべるのと同じ作業です。目で見ながら、音と文字を一致させてしまうのです。

単語が覚えられないのは、カタカナで覚えようとするから。

「シィャン」と発音したときに、頭の中にカタカナで「シィャン」が出るのではなく、「CHIEN」が浮かばないとだめなのです。

音と綴りを一致させるには、目で単語を見ながら繰り返し発音をすることです。 自分の発音を耳で聞くことによって、音を記憶し、口を動かすことで口の筋肉が記憶をします。そして、目にはすばらしいカメラ機能が備わっていますから、きちんと文字の順番を記憶してくれます。身体の機能全体が一致協力してひとつの言葉が、文字通り「刻まれる」のです。

単語を身体で覚えるということは、こういうことだと、わたしは思っています。

この身体に記憶させる方法は、フラ語に限らずどんな言語にでも使えるのではないかしら?

今日の代名詞も、ただ暗誦するだけでなくて、脳に「わたし→Je(ジュ)」という変換作業をさせるのがコツです。頭の中で「Je」と言いながら自分を想像。「Nous」と言いながら、自分とその周りにいる人・・・といった感じでイメージをしていきます。繰り返すうちに、日本語「わたし」からフランス語「Je」への翻訳作業を通過せずに、いきなり「Je」が自動的に出てくるようになったらOK。

今日覚えたsouhaiter(スゥエテ) Je souhaite...(ジュ スウェット・・・を願っています、・・・であるといいなと思っております) は、誰かの幸せや成功を祈るすてきな表現ですし、 手紙では本当によく使いますので、早めに使えるようになっておくといいと思います。 特に、年賀状のシーズンですから、今日の表現集を活用してみてくださいね。

Je vous souhaite une bonne continuation pour 2008 !!

第3回 e-cor フランス語コミュニケーション教室

シネマ・フランセ、第1回はエリック・ロメール監督 Pauline à la plage (海辺のポーリーヌ)

フランス人って・・・。

Cours No.3と4はシネマを使った授業。本日は生徒さん3人とこじんまりしつつ、フランス映画を見ながら「フランス人気質」というものに触れてみる授業です。

 § 15歳のポーリーヌと年上の従姉マリオンはモン・サンミッシェルに程近い海辺の小さな町、ジュールヴィルにヴァカンスの最後を過ごしにやってきます。離婚して間もないマリオン、海辺でたまたま昔のボーイフレンドだったピエールと再会。そこに、ピエールと「知り合い」と言うアンリが現れ、マリオンは自らが宣言していた通り、「一瞬で燃え上がる熱い恋」に落ちてしまいます。ピエールはマリオンが忘れられず、アンリのプレイボーイっぷりを指摘しマリオンに忠告するものの、言えば言うほど墓穴を掘るばかり。一方、ポーリーヌは浜辺でシルヴァンと出会い、ちょっといい雰囲気。ところが、アンリの浮気が引き金となり、登場人物全員を巻き込む大嵐に。マリオン、ピエール、シルヴァン、そしてポーリーヌ、それぞれの思惑がぶつかり合い、糸はどんどん縺れてしまい・・・一体、「真実」を語っているのは、誰?

「海辺のポーリーヌ」はロメール監督の2つ目のシリーズ「Comédies et proverbes(人間劇と格言)」の3番目にあたる作品で、1983年にベルリン国際映画祭で監督部門銀熊賞を受賞しています。シリーズ中の6つの作品はそれぞれにひとつの格言(proverbe,un)をテーマに取り上げて、それに沿った人間模様が繰り広げられます。

この「ポーリーヌ」には、

"Qui trop paroles, il se mesfait."

というのが掲げられているのですが、これはかの有名な荷馬車騎士〔この突っ込みどころ満載の話の概要をお知りになりたい方はこちら→(Click!)〕を書いたクレティエン・ド・トロワという12世紀の作家からの引用。この古フランス語、現代フランス語に訳すと Qui parle trop se fourvoie. となり、

「べらべらと喋るやつは道を誤る」という意味になります。

(DVDの付属解説には「言葉多きものは災いの元」となっていますが、原語では「喋りすぎて自ら墓穴を掘る」というニュアンスがあるため、厳密な意味では誤訳のような気がしますが・・・)

apprenante2こちらは生徒の皆さん。「べらべらと喋る」とは程遠く、集中して話の筋を追っています。 自由奔放、つっこみどころ満載なフランス人の恋愛模様、やっぱり目が離せませんでしょうか。

前半は「喋りすぎた男」として道を誤りまくる役を押し付けられた哀れなピエールくん。果たして彼の運命は?!

・・・といったところで、お時間でした。

apprenante1 「続きが気になるー」

この作品に限らず、エリック・ロメールという監督はとにかく登場人物に「語らせる」ことでストーリーを紡いで行く手法を使います。そういう意味では、この「Qui trop paroles...」の引用はちょっと皮肉。

しかし、15歳とは思えないポーリーヌ。心も身体も発育順調で、よく観察をし、曇りのない直感で登場人物の中では一番大人なのでは。

今日は最後まで行きませんでしたが、アンリが別れ際にポーリーヌに与える「男と女」な助言、ううん・・・とうなってしまいます。そういうもんですかねぇ・・・ これについてはぜひ、皆さんの意見を聞きたい!

そしてラストシーンのポーリーヌの笑顔がさわやか。なんとも言えない味があって、わたしはとっても好きです。

(--JOUP* :ちょっとパロンテーズ--) 今回使ったDVDは今一般に出回っているものなのですが、一部の訳が単純なヒアリングミスから来る誤訳だったりしてちょっと驚きました。誰もチェックいれなかったんだろか・・・。 (--JFLP** : パロンテーズおわり--)

それにしても、今日は3人でちょっと寂しかったです。

e-cor フランス語コミュニケーション教室 初心者クラス(土曜朝10時~11時30分)では、生徒さんまだまだ募集中です。

教室の詳細

途中から入るのはチョット・・・と思っていらっしゃる方、ご心配御無用です。 その理由は・・・また明日。(今日は引っ張りっぱなし)

Bonne nuit !(おやすみなさい)

_________________________ *J'ouvre une parenthèse : ジューヴる ユヌ パろンテーズ 「かっこ開きます」という意味。話がちょっとそれるけど、という余談開始時に使います。 **Je ferme la parenthèse : ジュ フェるム ラ パろンテーズ 「かっこ閉じます」。このセット表現、大学の先生からコメンテーターまでさまざまなシーンで耳にします。