Je commence à m'embrouiller...
(わけわかんなくなってきた・・・)
土曜日のアトリエで、何気なく取り上げたのだけれど、いたずらに生徒の皆さんを悩ませることになってしまい、猛省しつついろいろと調べてみたんですが・・・
【connaître と savoir の違いについて】 (!以下、長く、多少専門的です)
これについて、特別な授業を受けた記憶がないのですが、いつの間にか自然に違いが身についていたのであんまり深く考えなかったことに気づきました。(語学学校などでは、初級レベルのクラスだとたぶん授業があるはずです。)
両方とも、辞書を引くと「知る、知っている」という意味が出てきますが、微妙な感覚の違いがあり、それが腑に落ちるには多少の経験が必要なものなのかもしれません。とにかく、ネイティブでさえ、違いがあるのはわかるけれどそれをきちんと説明するのが難しいのがこの二つの語。 フランス版Yahoo!知恵袋でも質問がでていたりします。(フランス語) http://qc.answers.yahoo.com/question/index?qid=20080603125003AAfb7JJ
「肌で感じる」いい説明がないものかと、ネットやら辞書やらをうろうろしました。
アトリエでみんなで辞書を調べた時、幾人かが挙げたのが、「connaîtreは節や動詞の原形を取れない」という点。
確かにこれは大きな違いで、例えば 「彼がフランス語を喋るということを知っている」という場合、 Je sais qu'il parle français. Je connais qu'il parle français.*
だし、「彼はフランス語を喋ることができる」という意味で「知っている」を使うのも
Il sait parler français. Il connaît parler français.* (*は誤法)
と、savoirのみ。
※connaîtreは普通CODを取り、節が使えるのはcelui que...の場合のみ。 Je connais celui qui parle français dans cette classe. このクラスの中でフランス語が喋れる奴がいるんだ(=このクラスの中のフランス語話者を私は知っている)。
これは、phrase complexe(複文)が作れるようになってくるとわかる文法上の違いで、意味論(sémantique)上で区別をつける方法ではありません。単文しかマスターしていない段階で「節が・・・」と説明されても、理解をするのはなかなか難しいはずです。私の場合、日本語の文法的説明は漢字だらけで混乱し、息が上がってくる(過呼吸)。
でも、フランス人の子供はpropositionとかinfinitifとか、文法上の決まりを全く把握していなくてもsavoirとconnaîtreを使い分けることができるんですから不思議!
フラYahoo!知恵袋で回答者が答えている中でちょっと面白いと思ったのが、「savoirをconnaîtreの上位に置く」という考え方。
connaîtreの元になっているラテン語”cognoscere”はフランス語で「apprendre à savoir(知ることを学ぶ)」。一方、savoirは語源が諸説あるけれど、"sapere" (avoir du goût 味がある)から来ているというのが定説(回答者の挙げているscireは間違った語源のようです)。「知ることを習得する」という意味の語源から考えると、connaîtreよりもsavoirの方がより主観的な意味合いがあるのでは・・・と思っていたら、わかりやすい説明に出会いました。
定義から見ていくと、 connaître は知る対象が外にあること、それに対し、 savoir では知る対象が内部に取り込まれることが相違点であるようです。この違いに気づくと、 savoir の持つ「できる」に近い意味、 je sais nager (私は泳ぐことができる)が泳ぐ技術を内に取り込み、能力として実践的に運用することができるというつながりで理解することもできる。人を目的語とする時に、 connaître が好まれるのは、人は主体の外部に存在し、容易に内部化できないことと関係があるでしょう。
一外国人として、私自身の感覚というのはとても危うくて、誤用している場合もあるので慎重に調べる必要があって、例えば
Tu connais l'adresse de Julie ? (ジュリーの住所知ってる?) 厳密にはこれはsavoirを使うべきなのでしょうが、結構connaîtreが使われているような気がします(実際、ネット検索をかけると出てくる)。
これを説明するのに、もうひとつ抜粋
Il est remarquable que « savoir » ne s'emploie guère avec les personnes et qu'il ne montre, en pareil cas, qu'une connaissance superficielle : « Je sais une femme qui a guéri de cette maladie » indique que je connais son nom et quelques détails sur sa personne, c'est tout ; « je connais une femme » marque une connaissance plus approfondie, même sans aller jusqu'au biblique : « Adam connut Ève et elle enfanta Caïn ». Avec les choses on pourrait tenter une distinction analogue et justifier la différence entre « savant » et « connaisseur ». savoirは人に使われることがあまりなく、使われた場合は表面的な面識しか表さない。「この病気が直った女性がいる(savoir)」は、「私」がその女性の名と、彼女について多少のことを知っている、ということを示すだけに止まる。一方、「私はある女性を知っている(connaître)」は、深い面識があることを指していることは、聖書の例(「アダムはイヴを知り、彼女はカインを身篭った」)を出さずとも明確だ。(※connaîtreは「(性的に)女性を知る」という意味もある) これらのことから、類義の区別を試みることも可能だろうし、「賢者、学者(savant)」と「玄人、鑑定人(connaisseur)」の違いを裏付けることも可能になる。
感覚的に、connaîtreの方が「人」を意識した意味になっているので、上記の「アドレス知ってる?」の場合も、ジュリーという人物とある程度親しいという意味が暗に含まれて、ついconnaîtreを使ってしまうのかもしれません。 connaîtreは、共同、集まりを表す接頭のco-とnaître(生まれる)の組み合わせで出来ているというのも、「人」、「対面」というキーワードをもつ所以かもしれないですね。 参考:
- http://groups.google.com/group/fr.lettres.langue.francaise/msg/514614808805e848?hl=en&lr=&ie=UTF-8&safe=off&rnum=3
- http://www.lesensdesmots.com/
- http://www.prima-elementa.fr/Dico.htm
- Le Nouveau Petit Robert 2008
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 ところで、このconnaîtreとsavoirをFLE(フランス語教授法)関連で調べようとググったら、いきなりLautréamont à l'épreuve du F.L.E.というドシエが出てきました。ここで取り上げるのは個人的にあざとい気がするので(笑)やめておきますが、主に外国人向け仏語の授業で「マルドロールの歌」を題材にするというのはかなり個性的で強烈です。この授業をやったクラスは次の週には、生徒全員、爪が長かったりして。 ただ、supportとして使われているHubert de Phalèse氏のサイトはすごい。ハイパーテクストって何かと思ったら、ロートレアモンの作品がただデジタル化されているだけでなくて、一語一語に辞書へのリンクが貼ってあって、意味がわからなければクリックすればいいようになっているのにはびっくりしました。辞書もフランス語なのがminceかな。