Moi, barbare. (おいら、野蛮人)

 L'Empire du "signe"

先週の金曜日に、ボルドーIII大学のジェローム・ロジェ先生が新潟大学で「声の破片ーアンリ・ミショー『アジアにおける一野蛮人』あるいは自己自身にあらがう旅」という演題で講演されたので聴きに行ってきた。わたしのような門外漢にも気軽に「いらっしゃい」とお声掛けくださるT先生、ありがとうございます。 ミショーについてたいした知識もないままぼんやりと出かけて行ったけれど、2時間に及ぶエクスポゼは面白かった。ただ本を読んでみたり、先行するイメージや先入観にとらわれているだけでは、わからないことがたくさんある。行ってなければ、わたしの中でアンリ・ミショーという作家は「アートを追求するためにヤクでキメキメになったヤバイおっさん」で終わるところだった。

フランス語で講義を聴くとつい癖でノートを取ってしまうのだが、現役の学生という立場から解放されてみると改めて「型」の凄さを感じる。 どの分野であろうと、フランス人は学生時代に徹底的にエクスポゼの「型」というものを仕込まれる。だから、人前で話す時、話すほうも聞く方も安心感がある。教育は社会で役にたつぞなもし。

まずはイントロダクションで、話すテーマについて「開く」。

それからどういう順番で何を説明するのかの流れを「アナウンス」する。

ここで、聞き手が「お、ちょっと面白そうだな」という「餌」をまくべし。と、耳にタコができるほど教わった。

ロジェ先生はタイトルに使った「éclat(破片)」という言葉を「声、音(弾ける声、大声)」や「目(の輝き)」の例で定義するところから始めると、 I. Voyage en inconnu (「他者」としての旅行) II. Pédagogue de l'altérité (他者性の教育者) III. Derrière barbare (「野蛮人」の後ろにあるもの) IV. L'écriture d'éclats (破片のエクリチュール) という章に分けて最後に結論を話した。

ミショーは1931年にマルセイユを出発し、インド、中国、日本、マレーシア、インドネシアなどアジアを旅行してこの作品を書くのだけれど、ただの「旅行記」というジャンルに収まり切らない「声の破片」を集めたものになっているそうだ。根底に哲学があり、文体はラ・ロシュフーコーの箴言のようだったり、ラ・フォンテーヌ「ファーブル」のようだったり、散文詩だったりして、それが最終的にはあの不思議な文字絵のようなものに繋がっていくのだとわかった。 とにかく、始まりはその頃盛んだった「気取り屋たちが書いてきた旅行記」、いわゆる白人による白人のための「オデュッセイア」としての旅行記ではない、「自己」という認識をリセットした、「誰でもない人」として世界を色眼鏡なしに見てみようという試みだった。アジア人の生活を「ま、なんて野蛮な!」という上から目線でレポートするのではなく、自分自身がアジア人から見れば「一野蛮人」なのだ、という「逆転」の認識を持ち、ニュートラルな観察眼で眺めようとした。 未知の言葉の中では一種独特の浮揚感があり、自分が透明になってしまったように感じた経験が私にもある。ミショーはそんな中で、その外国語に擦り寄るのでもなく、母国語にしがみつくのでもない表現方法を探し続ける。自分から自分をひっぺがすような「他者性」というものを探るうち、文体は三人称「彼」で語られるようになる。 彼があの独特のシナプスのような人が踊っているようなデッサンを始めるきっかけになったのが、日本でたまたま女の子と筆談ならぬ画談をしたことだった。少女はどこから来たの、とか、どんな船に乗ったの、何日ぐらいここにいるの、という質問を絵に書き、ミショーに鉛筆を渡して返事をさせる。この体験が「コミュニケーションは言葉の中にしかない」というイデオロギーからの逸脱の瞬間になった。

Né, élevé, instruit dans un milieu et une culture uniquement du "verbal" je peins pour me déconditionner. (音声言語のみの環境、文化で、私は生を受け、育ち、学んだ。こうした条件、制約から身を剥がすために、私は絵を描くのである。)

Emergences- Résurgences, p.9

Signes pour retrouver le don des langues. La sienne au moins que, sinon soi, qui la parlera ?(言葉の恵みを再発見させるための記号。自分の言葉、少なくとも、自分でなければ、だれがこの言葉を語るのか?)

"Mouvements", in Face aux verrous, 1951 p.19

この話を聞いて思い出すのがダニエル・ペナックの文字人間。アプローチも目的も全く違うのだけれど、共に文字の向こうに自由を求めていた。 漢字はもともと表意文字だから覚え易くて、アルファベットはただの記号の羅列だから無機質で覚えにくい、などと思っていたけれど、こうしてみると文字の向こうにあるものはアルファベットも漢字も同じなんじゃないかという気がした。

ところで、講義室が泣く子も黙る超乾燥地帯で、水分を取り損ねたため、講義が終わる頃に顔面が鼻を中心に真っ赤に腫れ上がっていた。野蛮人さながらの形相で翌日土曜日のアトリエに向かい、参加者さんはさぞ不快だったことでしょう。ごめんなさい。今はもう、赤鼻のトナカイ位に治まっています。暗い夜道などには、ぴかぴかのおいらのハナが役に立つかもしれません。 引用部分は共にロジェ先生の講演で配られた資料によるものです。