先日、たまたま家にあった「暮らしの手帖」を読むともなしにぱらぱらと捲っていたら、佐藤雅彦さんの連載「考えの整とん」に目が留まった。いつも「暮らしの手帖」には異色のページだよなぁと眺めていたのだけれど、書き出しが英会話の本についての話だったのでついつい引き込まれてしまった。 「いざという時に役立つ」類のその英会話学習書の最初の例文というのが、
『ものが二重に見えるんですよ。』
このフレーズが役に立つ「いざという時」は、ほぼ間違いなくなんらかの体調不良に陥り冷静ではない状態で、この言い回しを思い出す余裕などない時だろう。
または、3DTV専用メガネが不良品だったとか。競争率の激しい英会話学習書出版業界で、売れるためにオリジナリティを追求し過ぎた結果、このマニアックなフレーズに辿り着いてしまったのだろうか。
話はそこで終わらない。
二十数年後、著者はテレビをザッピング中、アメリカのTVドラマ「逃亡者」で主人公が「I'm seeing double.(ものが二重に見えるんです)」と言うシーンに遭遇し、「とうとう、この言葉に出会ってしまった。」と呆気にとられる。
佐藤氏はこのエピソードから、自身のひらめきやアイデアを日常生活に役立つ工夫や知識として読者に伝えようと「暮らしの手帖」に連載をしているけれど、実際それらには「汎用性」がない、つまり『ものが二重にみえるんですよ』というものばかりなのでは・・・と自問する。
普段フランス語の課題を作っている私にとって、この不安は常に付きまとう、他人事とは思えないものだ。
教科書に書いてあることは、とても非現実的に感じる。聞きなれない音と見慣れないアルファベットの羅列で学ぶのだから、リアリティが沸かないのは当たり前だ。フランス語に限らず、外国語のテキストは日々研究されているので日常的にどこかで耳にする会話や展開になっているものが次々出版される。それでも、やっぱり「遠い」感じがする。
ジョージやメアリーにとってはごく当たり前の会話でも、太郎と花子には微妙に遠い。
その空間を埋めるのが課題の役目だと思う。だから、等身大の自分でぶつかれるものでないと意味がない。
何度かここでも書いているのだけれど、「覚えられない時」というのを振り返ってみると、自分の中にその言葉やシチュエーションが「当たり前」になっていない、リアリティを持って存在していない時だ。
語学に限らず、仕事の仕方や人の名前、楽器の演奏などもそう。それを「腑に落ちる」状態にしてやるには、自ら行動するしかない。仕事なら自分で提案することで、人の名前はその人に話しかける、その人について他の人と話すなど。楽器の場合(私はピアノしか知らないけれど)そのつまづく動きに心が付いて行けていないのだから、自分が納得する感情を探してさまざまなパターンで演奏してみる。
語学の場合、自らの意思でその言葉や表現を使うことで「自分はこの言葉を知っている」という体験を作り出す。 これが記憶につながって行くのだと思う。
自分で考えを発信するというのは母国語の訓練ができていないと難しい。だからe-corの課題は、日本語で考えて面白い内容をフランス語で行うことが多い。
今、初級~中級のアトリエでは小さな詩を作る練習をしている。12ヶ月のうち好きな月をひとつ選びその月について書くのだが、「マッピング」という手法を使ってまずは一人で連想ゲームをして行く。 その月から感じる色を二つ、その月を一言で表す言葉一つ、その月の名前、の4つの「核」からそれぞれ連想をして行く。
1月なら「白」→「新鮮」→「泉」とか、「新しい」→「オープン」→「窓」などなど。連想できる言葉同士をつなげて行くと、マップが出来上がる。
たくさん言葉を連想したら、気に入った言葉を使って短い文章を作り、最終的に3行ほどの小さな詩が出来上がる。
「詩」と言われると、なんだか難しそうで文才がなければできなさそうなのだけれど、この方法を使うと初心者でも作ることができる。 実際、教室では次々と詩人が生まれているのでそのうちこちらでも紹介しようと思う。
こういった課題は学習者が集中して楽しめて、語彙も豊富になるし、ひとつの詩が完成した時の達成感は自信につながる。 柔軟な発想をしなければ連想はできないので、対人関係で相手の気持ちを考えたり、問題が起こった時の解決方法をかんがえたりするような普段の生活に応用することもできる。
エコエコと叫ばれすぎて、人生までできるだけ無駄なことをしない風潮になりつつある。 「遊び」のない「エコ人生」では、あまりにも味気ない。フランス語学習というと、それだけでもう汎用性がなさそうに見えるけれど、意味がないことをやることの意義は簡単には計り知れないものなのだ。
何十年後かに「逃亡者」のフランス語吹き替え版を見ることがないとは誰にも言い切れないのだから。 ちなみに、佐藤雅彦さんというのは、あの「だんご3兄弟」や「ポリンキー」「バザールでござーる」などのCMを作った人です。