フランス語を教えるのにHPを新しく作って、
第一弾の話題がこれか、と言われそうなのですが、
ま、ま、ちょっとお許しを。
わたしが1年前から教えていただいている太極拳の師匠「○さん」は探究心の権化のような方だと常々思っている。 昨日、皆さんの前でストレッチについて色々と「悩んでいる」と打ち明けていらっしゃったけれど、確かに、日々練られているなという感じがする。 わたし個人の感想としては、「それが、いい。」 教えるということに関しても、その人の"façon"(やり方)というものがあって、それが合うかどうかというのは個人の感覚による。 人によっては、「教え方が一定しないのはどうよ」と眉をひそめる。 わたしも、以前は「かくあるべし」と言ってくれたほうが、安心できると思っていた。 けれど、「不動」というのは生物の本来の姿を表していないのじゃないかと、最近は感じる。 だから、教える人が学ぶ人と一緒にゆらいでいる、そういうのが心地いい。 ゆらいでいるのがわかる先生と一緒に変化していきたいと思う。 ただ、揺らいでいる部分、「あそび」の部分というのはあくまで枝先であって、 根っこがふらふらしているのとは違う。 太極拳を伝えていく、伝えた人が他に伝えやすいように作り上げていくために、揺らぎ、考え、試している、それを○さんは 「ひとつの作品を創っているようなもので」 とおっしゃる。 確かに、芸術作品の創造に立ち会っているようなもんだなーと感心していたら、 いきなり 「フランス語だってそうでしょ?」と言われて、 一瞬古代ギリシャ・ラテンからの歴史が渦を巻いてわたしの中に押し寄せ、なんと言っていいやらわからず、 「はあ、いや、はい、そうです」 と、ものすごいあいまいな返事をしてしまった。 ゆらぎはゆらぎでも、動揺するようではまだまだです。 何はともあれ、 わたしも、どっしりしながらゆらゆらとフランス語と付き合っていこう。 末永く、どうぞよろしく。