Une signe de vie...(いきてます。) ジャン=クロード・ブリアリが逝ってしまわれた・・・。 Une femme est une femmeを思い出しました。 なんだか、かっこよかった時代の人々がこぞっていなくなってしまうのに、 あちこちで(特に政治方面で)言われている「世代交代」をひしひしと感じて、ちょっと感傷的。 試験が一応終わり、最後の提出物だったFLEの「文章力」を伸ばすための授業に使うテキストの分析と授業案に関するレポートを提出。
以前から、このレポートの素材として、Queneau(クノー)のExercices de styleを使おうと思っていたのだけれど、思うところあってやめ。Saint-ExupéryのLettre d'un otageも候補に挙がっていたのだけれど、いまいち自分の中であいまい・・・ どうしようかな~、と悩んでいて、ふとラジオから流れるRené Char生誕100周年という話題を耳にした。調べてみたら、シャールはなんと7月14日に生まれて、いらっしゃいました。 20世紀の詩人のアンソロジーでちらりと見かけただけでほとんど知らなかった詩人なのですが、実はカミュととても親密な友情を結んでいた人。 その二人の10年にわたる書簡集を集めたCorrespondances Camus - Char 1946-1959という新刊が出ていたので買って読んでみました。レポートの参考図書といえ、久しぶりに「読まなければならない」という拘束の付かない趣味の読書。 手紙、というものに対する意識が変わりました。 なんていうか、切ない・・・。 もともとカミュが46年に作っていた「Espoir」という雑誌にシャールの「Feuillets d'Hypnos」という詩集を取り上げたのがきっかけだったのですが、Correspondanceはシャールがカミュに「あなたの『カリギュラ』における考え方に完全に同感いたします。差し支えなければお会いすることはできますでしょうか?」という手紙を送ったことからその後カミュの突然の事故死まで二人の友情をつなぐものとしてマメに交わされることになります。 この二人のやり取りは、はじめから10年来の親友のような一種運命的な印象があって、お互いをいたわり、称えあい、気遣う言葉の数々を読んでいると、二人はまるで恋人同士のような不思議な感覚を持つ。だからといって、お互いの作品を褒めちぎる様子に不快感はまったくない。 ひとりの人間が、ひとりの人間に、文字通り「惚れ込む」とはこういうことなんだなぁと胸が熱くなる。 三国志とか水滸伝に出てきそうな「義兄弟」的な繋がりを感じてしまった。どちらかが女性だったら、この本に収録されている手紙は間違いなくラブレターになる。ま、男が男にラブレターを送っちゃいけませんという法律もないから、これはカミュとシャールのラブレター集です、と言ってもいい。 二人とも同じくらい相手を求める手紙を送るのだけれど、もともとシャールにとってカミュは憧れの兄貴みたいな存在だったらしく、カミュから快い返事をもらえて天にも昇るような浮き浮きした様子は可愛い。 作品同様になんとなくカミュにはつかみきれない、追いかけないと消えてしまうような印象があって、シャールは、ともするとふっとこの世から消えてしまいそうなカミュをなんとかつなぎ止めようとする、そんな苦しみさえ感じられる。 二人の友情が深まれば深まるほど、心からカミュのことを思い、カミュの幸せを祈る献身的な友としてのシャールは本当にやさしく澄んだ存在に見える。 1959年にカミュが死んでしまうことがわかっている読者としては、日付の入った手紙を読み進めていると、ちょっとつらい。シャールはカミュが死んだら生きていけないのでは、と、おせっかいな心配までしてしまう。 特に、カミュの死んでしまう2年前にシャールは短い手紙送っているのだけれど、「今、どこにいるんだい?なぜか君を失うような残酷な感覚に襲われたんだ」という予言めいた言葉にはどきんとさせられた。 フランス語で手紙を書くというのは、フランス語に慣れてもやっぱり難しい。 けれど、「書く」プロフェッショナルである二人のアーティストの手紙を読んでいると、 語学レベル如何にかかわらず、とてもシンプルで大切なことに気づかされる。 なぜ、手紙を書くのか、ということ。 à suivre...