果たして、洗濯機ボタン爆発事件が引き金になったのか 原因は不明なのですが、 事件の当日から電話が「がしゃー、ぴー、がー」とすごい音を立てて、通話不可能になってしまいました。心配した友達が電話をかけてきてくれたからわかったのですが、翌日にはネット接続も不可能に。 フランステレコムには以前から何度も「生クリーム」が必要な状態に 追い込まれたので(なんのこっちゃ、という方は→こちら) できれば関わりたくないのだけれど・・・
とか、もじゃもじゃ言っていても仕方ないので、電話する。
珍しく、それほどまたされずにオペレーターと繋がり、 しかも不機嫌なおばはんとかではなく、 とても対応のいい、安心感の持てる声のマダムが出てくれた。 テクニカルオペのおじさんも、愛想が良いとはいえないものの、 きちんと対応してくれた。
これは、日本にいれば割と当たり前かもしれませんが、 フランスでは奇跡に近いと言えます。
(大げさ?いや、そんなことないよなー、在仏日本人の皆さんはきっとわかってくださるはず)
今回の一連の事件の一部始終をダイレクトで知る友人が
「よく、そんな落ち着いて構えてられるねー。私だったら すごい心配して悪い方に考えちゃうよなぁ。でも、すぐ対応してもらえてついてたね」
と言った。 そう言われてみれば、これが3年前だったら、 どうしようどうしようとあたふたして、心配で胃がきゅうっとなっていたかもしれない。 今回は、今自分にできることをやり、人様がやってくださることを信じて待つ。と決めると、ちゃきちゃきと頭の中で行動を決定してどんどんこなしていった。
終わってみれば、本当に色々な人に助けてもらえて、たいした被害もなくすんなりと解決できたのだから、考えてみればついていたなぁ。 洗濯機はいつ爆発してもおかしくない(危険!)状態だったのに、この休暇中までがんばってくれたわけだし、日曜日に起きていたら一日寒さでぶるぶる震えながら過ごす羽目になったかもしれないし(ナントは未だに日曜は全てのお店が閉まります)。
洗濯機だって新しいのはまだ届いていないものの、買い換えてくれると大家さんがいってくれたのでびっくりした。(高級アパートでない限り、洗濯機つきという物件自体、最近ではなかなか珍しい)
時間の感覚というのは、お国柄のひとつだろうなぁと思います。 フランスでは待たされることは日常茶飯事で、それに対してキレて怒鳴り込むとか、「上の者を出せー!!」という状況にはお目にかかることがありません。
待たされるほうもぶつぶつ言いますが、「待たされて当たり前」というベースがあるので、待たせた原因に対して憎しみのような感情が沸くことはほとんどないと思います。 それに、そこまで行かないうちにはっきりと「待たされて迷惑である」と表明して状況の打開を図るか、時間を改めて来る、場所を変えるなど、まずはできるだけ自分で解決することを考えます。
怒りという感情が起こるときを思い出してみると、大抵主語が「私」以外になっていることに気づきました。
「あの人が、後ろにこれだけ並んでいることに気を遣わないから」
「あいつ、ちゃんと持ってくるっていったのに」
「私」は相手に依存をしているから主語にならず、その相手が自分の思うように動いてくれないというイガイガが摩擦を起こして怒りという感情が湧く。 これは、無駄なエネルギーだなぁと思います。
もしこのエネルギーを使ってしまったら、相手に対して切れるというアクションになってしまいがちだし、使わずに溜め込んだらエンストを起こしてしまう。
日本人は自己主張が下手だとよく言われます。 逆に、フランス人は口達者だと一般的に評価されています。
(ドストエフスキーが「賭博者」の中で顕著にロシア人と比較したイギリス人、フランス人の様子を描いています。これを見ても、フランス人は世界的に「口が巧い」という見方をされているのだとわかります。)
様々な要因の一つに、言語の仕組みがあると思います。 なぜ、日本人は主張ができにくく、フランス人は一般的に巧いのか。
その辺りを、明日は探ってみようかなと思います。