ムールとフリットは決して分かつことができない、星君には伴君がいなくてはならないのと同じくらい。
SさんとMさんに付き合ってもらい、念願のムール・マリニエール フリット付きを食べに行く。 ムール・マリニエールは、ムール、刻んだ玉ねぎとエシャロットを白ワインとバターで蒸し煮したもので、この汁にフリットをつけて食べるとうーんまーいのです。
フリット、フライドポテトといえば、イラク関連でフランスが軍隊投入をしないことに対する抗議として、アメリカンな人々が「フレンチ・フライをフレンチ・フライト呼ばない運動」をやっていたことがありましたが、今は「フレンチ・フライ」と頼んだらフレンチ・フライを出してもらえるのでしょうか・・・?
さて、方々で顰蹙を買っているのですが、実は、私はフランス料理が好きではありません。
フランスにいながらそれはないだろう!との突っ込みは数知れず、そしてこの発言に父(料理人・エスコフィエのスタイルを基本とするクラッシックなフランス料理が専門)は泣いた・・・
ごめんよ、父さん!娘はごはんとお味噌汁の国の人なのよさ・・・。
ま、ま、そりゃね、おいしいです。
でも、もう一度食べたいって思うものって本当に少ない。
このムール・オ・フリットはそんな数少ない「あの時の味わいをもう一度!」なのです。
初めのおいしさは、二度とは味わえないと知っていながら、やっぱり追いかけてしまう。 料理は五感で味わうもので、その時のシチュエーションがものすごく影響すると思います。だから、はかなく、力強い。
一番心に残っていて本当においしかった「フランス料理」は、と言われると、ヴォージュ広場にある小さなカフェで食べたアンチョビーのサラダ。 この時、わたしは傘も持たずに雨の中を歩き続けヴォージュ広場までやってきて仕方なく入ったのだけれど、ウェイターのお兄さんがとてもプロフェッショナルな人で、ずぶぬれでお「一人さま」の外国人にも嫌な顔ひとつせず、丁寧でタイミング抜群のサービスをしてくれたっけ・・・。
こういう人は、目配せひとつで何もかもが伝わり、それだけでも満足気分にほかほかします。 次にこのカフェに行って、同じものを頼んだとしても、きっと同じ満足は得られない。 わたしが同じようにひもじく疲れていて、同じウェイターさんに出会い、同じように息の合ったタイミングを作るチャンスはほとんどありません。
こうやって考えると、料理ってなんて儚いんでしょ。だから美しい。
帰り道、川面をちかちかと揺れる橋の明かりの中を、トラムが緩やかなシュプールを描きながら上ってくるのを見て、Sさんが 「このまま夜空にのぼっていきそうだなあ・・・」 とつぶやく。うぬぬ・・・詩人・・・。 とてもミスドでカスタードたっぷりのドーナツを3個ほおばる口から漏れたとは思えない、リリックな味わいがございました。
(写真はCuisines des pays de France © 2001, Edition du Chêne, Hachette-Livreより)