太極拳を始めた。
中華シネマやカフカと中国文学の比較で中国文学に少し親しんだお陰で出会った陰陽魚。
ひょんなところから必要なものは転がり、目の前に落ちてくる。
ちびだった時、風使いになりたかった。 そんなプロフェッションがあるかどうかわからないけど、 見えないものを動かすことに憧れた。
見えないけれど、確かな手ごたえをもって感じるもの。
実際に舞っている先生は、確かに空気を動かしている。 自然の力を貰って舞い、生まれた力はまた空気を動かし、自然に還る。
無我夢中で動きに着いて行くだけで終わった第一回だったけれど、確かに何かが私の中で息をし始めたような気がする。
私を稽古場まで連れて行ってくださったMさんはもう5年も続けている大先輩。
「太極拳って、型はあるけれど、日本舞踊とかバレエとか、他の武術みたいに厳格に『こうすべき』ってわけじゃないんだよね。だけど、最近思うのはね、そういうファジーな方が、本当は難しいんだよねぇ」
自分で感じ、考え、動くということ。 私はフランスで徹底的にそれを学ぶ機会が与えられているけれど、ぼんやりしていると、好きなことにさえ「反応する」だけで精一杯になっていたりする。
今したいことを探すのが大切だと思って生きてきたけれど、今できることを確認したとき、やっと自分の輪郭が見えてくるのかもしれないなあ。